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2008年7月7日月曜日

最期の井上雄彦展に行ってきたぞ!



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ぼけぼけだけど、山岡鉄周の書。飛騨高山の陣屋所蔵。 個人的なことですが、井上雄彦は私の命の恩人なんですねぇ。 と、これは、雑誌クロワッサンの「病気自慢」にも書いたことがあるのですが、今を去ること十年以上前、ネフローゼ(尿をつくる機能が不全になり、オシッコがでなくなる国の指定の難病)で入院したとき、友人が差し入れてくれた「スラムダンク」全巻を徹夜で読みふけった朝に、ウソのようにオシッコがほとばしり出たんですよ。特効薬のステロイドを飲んでたった4日目。主治医は驚いていましたけど、あの消灯後、ベッドの中でステロイドでハイになった頭に、あのめくるめく物語は相当にヒットしてある意味人生至高のマンガ体験だったのですが、マジで本当に病気、治っちゃったのよ。
 お笑いビデオでガンを治したという患者の話や、物語療法という技術もありますが、それにかなり近いかも。まあ、偶然ともいえるわけですが、当時の私の年齢での罹患はほとんど完治しないというデーターと、明け方、山王戦の開幕とともに突如襲ってきた激しい尿意に対する驚きは自分の人生における最大級の奇跡だったということは事実。また、こういう、神話を図らずも読み手につくってしまうところが今に至る、作家のカリスマ性というものでしょう。
さて、最終日。友人である阿部ガリアーノの尽力にてチケットが手に入り、行ってきましたよ、「井上雄彦 最後のマンガ展」。入場制限があるため約二時間待ち。ガリ君、そのために椅子やマンガを大量に持ってきてくれており、さすが敏腕広告マン。子供みたいな20代の列に妙に爺と婆二人が小椅子に座ってマンガを読みふけるの図。上野の森の木陰は心地よく、アウトドアの中こんなに並ぶんだったら、シャンパン用意すりゃよかったよ!
 展示の概要は、武蔵の最期を肉筆で描いていくというもの。
 やはり、画力が凄いというのは本当で、肉筆ともなると、一筆で表情のラインを決めていることがはっきりわかる。筆先のラインと勢いはもう、それだけで物事を饒舌に語っています。一回、振り下ろしたら後戻りできないという宿命は剣も筆も同じゆえに多くの武人が書の達人なのですが(個人的には私、山岡鉄周の書が大好き)。作者は武蔵というテーマに引っ張られてどんどん、この”かたち”を独学で身につけていったわけです。この意味がかたちをつくり、かたちがまた意味を深くするという関係性は今、身体論で盛んに言われているところ。私もダラダラとヨガを二年ほど続けていますが、武将のポーズを決めると気持ちの方が劇的に変化するなどということは普通に存在します。
 線の躍動と造形の美しさはもう、直接に”色っぽさ”に結びつき、武蔵、小次郎、老境の武蔵、胤舜、吉岡清十郎、武蔵の父などはもう、極楽にホストクラブがあったらこういうメンツかというようないい男揃い。三島由紀夫も聖セバスチャンの殉教図に萌えましたが、死に臨む男っつーのはもはやDNAに組み込まれた萌えポイントですね。作者の画力はホントにいい男たちの体臭までも臭ってきそうな書き込みがあり、「男が男に惚れる」という言葉の精神論やきれい事ではない本質的なエロスをガンガン伝えてきます。そう、男はみんな男が好き。
 ラストの「武蔵、赤子に還って母の胸に抱かれるの図」としての救済は意見の分かれるところでしょう。ああっ、やっぱりこうなったかぁ~の予想通りの紋切り型と言ってしまえばそれまでですが、リリー・フランキーの「東京タワー」の大ヒットと同様、それが切実なマスの救済となっているならば、これは優れた一握りの作品しかなしえない偉業ですね。しかし、日本の母と男子の濃密な関係からどうしてもオミットされる多くの女子、娘(もちろん、私も含め)としては、やっぱり横目で見てしまうものがある。
 武蔵の足跡のあとをたどる後進の行列の中に、ひとり目の涼しい美少女がいました。彼女は女流剣士なのでしょうか、女だてらにこの切ったはったの世界に身を置き、高みに登ろうという剛の者。しかし、現在とはその喜びと厳しさに目覚めてしまった多くの職業人という女性剣士が大量発生している時代であり、その者たちの救済は? と考えると、母親の懐に入っていける人は希有。より厳しく、ノーフューチャーな結末があるようにしか思えません。
 私はこの物語をおつうではなく、剣士たちと同化して普通に読みました。仕事で一度でも返り血を浴びている人間にとって、武蔵と剣士たちの生き方はワクワクするど楽しい。 敬愛する作家の桐野夏生言うところの「男が至上なのではなく、「男」の持つ抽象的な美点が至上なのだとわかったのだ。<中略>別にそれを女が持っていたって、子供がもっていたっていい」(「天使に見捨てられた夜」)ということですね。
 逆に男の方が作品の主人公と同じ肉体をもっているからこそ、大変だろうなあ、と思ったりもした。こんな完璧に美しい男の物語に自分が参加できない、とあらかじめ諦観したその先には、この物語に耽溺し現実社会に傷つくことなく、実家のママのご飯をぬくぬくと食べながら部屋に引きこもる多くの男性の姿が見えてきそうです。
 そんな男たちに剣士と同じ輝きが与えられる社会的チャンスは何か?
 ちょっと、考えれば想像がつきますわねー。 
 こんな輝きを捨てて戦争をしない、ということがいかに理性と胆力がいるかを今ここで確認したい気持ちになりました。
 
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