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2009年12月20日日曜日

今年の文化ソーカツは飴屋法水と椎名林檎で



細菌性胃腸炎のため、本日夜「ヌメロ」の取材後、各種お集りにもいかず(クーリーズクリーク、みはるちゃんごめん!)家に戻っておとなしくしておりました。それでもって、食事はお歳暮でもらった伊勢うどん。(なんですかね。この伊勢うどん。ぶわぶわしたちくわぶみたいなうどんに甘辛海藻味のたれをかけて食べる摩訶不思議なもので、およそ、つるしこアルデンテの麺美学からかけ離れている)
そう、こういう時にブログ書かなきゃどーするよ。
ということで、2009年下1/2期の振り返りをやってみようかと。
まあ、舞台演出家・飴屋法水の復活というのが大きかったですね。彼はもうアート界ほかでいろんなファンがいますが、現役業界人でのファン一号は間違いなく、この私でしょうね。なんといっても、ぴあの演劇班の木っ端社員だった私は当時の演劇シーンのどれもが嫌いで、絶望の縁にいたときに、当時の飴屋が主宰する東京グランギニョールの舞台を観て、宗旨替えをしたのでした。人生、これほどのライブな文化的エポックメイキングは次に39歳でDJジュニア・バスケスinトワイロが来て二度目、ということになります。とにかく、時代の最もカッコいい音を使って、視覚と聴覚を通じてテクニカルにエモーショナルに人の本能的や肉体的な共有感覚を激しく引き出して行く、その能力はとてつもないもので、もし彼がその後職業的な舞台演出家になったとしたら、引く手あまただっただろうな、と思っていました。当時のインタビューで唐十郎が「飴屋君には、縁日の夜店のキラキラしたところのような魅力がある。だから、人はくっついて行きたくなるんだよ」と言っていましたが、彼にはそういった人の心をぐらっとさせる天性の演出術が備わっているのでしょう。
しかし、才能と本人の欲求は贅沢にも違います。飴屋さんはその後、現代美術方面に行ったり、動物商をやったり、いわゆるデュシャン的な表現者としての生き方を貫いて行きます。もちろん、同じ人間ですから、表現行為の端々には一貫したものが出てくる。しかし、あれだけ舞台で人の心を震わせた"演出"そのものは表にはあらわれず、残念な思いをしていたところ、今年は後半、二発のでかいタマをぶち上げてくれました。(一発目の「転校生」はすでにブログにアップ)
 東京デスロックの多田淳之介の戯曲を演出した「3人いる」は、「自分の部屋に自分を名乗る他人が自分だと行ってやってくる」という、不条理モノの王道のようなネタなのですが、飴屋演出は、そこに「すべての公演の出演者が異なる。しかも、ガイジンを入れてのド素人」というメタな構造を導入してくる。そこには、自ずと「他者と自分との区別に必死にコミュニケートせざるおえない」劇中登場人物と、素人である役者たちの今、ここにある緊張が化学反応して、最大効果を上げていた。この、戯曲の持つ魅力と伝わり方を瞬時に判断して、最高出力&センスで見せて行くという手つきは、かつて私が痺れきった彼の豊かな才能部分、のものとは別個(この舞台では、美術も音楽も饒舌ではない)のもので、真に飴屋法水、おそるべし。現代美術フィールドで、コンセプチュアル、ということを大いに学んで来たことも関係しているのでしょう。
そして、この間、フェスティバルトーキョーの一環で行った『4.48 サイコシス』は、全二作では封印されていた飴屋の「天性の演出術」が、その戯曲のキモを一瞬でつかみ取る頭の良さとコンセプチュアルな手つきと共振し、これにて、多分、今後の飴屋演劇時代がスタートするがごとくの作品となっていました。
原作はデビュー作以来、生々しい暴力や性の描写に特徴のあるイギリスの劇作家、サラ・ケインの遺作戯曲は、まあ、作者自身の肉声にも近いはずの「イッちゃった人の頭の混乱ディスコミュニケーション」でして、電波系の人たちと同様の「意味はわからずとも、圧力と強度がマックス」というもの。飴屋氏はまさにそこにつけ込んで(いい意味に置いて)まるで交響曲のピースを埋めるように演出をかぶせて行くのです。
 出演者はまたも全員素人(彼がなぜ、プロの俳優を嫌うのかは、よく理解できる。プロの役者は不安をメソッドや自分のテクで解消しようとするが、彼の手がける戯曲はそれをやられると"出力"が落ちてしまうタイプのもの)、ホーミーアーティスト、山川冬樹のホーミーと逆さ吊りの登場、観客と鏡面状態になる舞台設営、舞台を横切り人が出入りする血の川、シンメトリーの配置でプレイされるドラム、たびたびインサートされる「ロング・サイレンス」という女性の声、そして、邪悪な小鬼のように走り回って天井桟敷から罵声を浴びせる山川冬樹。
 「ドグラマグラ」や「ルクスソルス」ある意味、「死霊」という文学群は、読んだ時に意味ではなく、言葉の羅列から脳の中に異様なガスが発生し、それにヤられてしまうのですが、彼はこの戯曲に充満する同種のガスを濃厚抽出し、見事に火をつけたことになります。そして、その火にはもちろん、私が好きな彼の才能=キラキラ部分が今回はやっと、濃厚に入っていたのでした。
 まあ、今回も感じ入ったけれど、こんなに耳がいい演出家は、世界でも珍しいのではないでしょうか。全共闘演劇関係者が上に居座っていたかつての小劇場界と違って、今回、飴屋さんの理解者、バックには平田オリザのような政治家(悪い意味じゃなくて!)がいるわけですから、ぜひ、彼の才能を海外に持って行っていただきたいものです。ホントに、ベルリンオペラの演出ぐらい、やっていただきたいものだ。(なーんて、考えたのは今、「魔笛」をDVDでみていたからなのだ)
飴屋法水で長くなってしまいましたが、あとは、ギルギエフはブログにしたし、最近では椎名林檎の「能動的3分間」ですかね。私、初めて椎名林檎にハマったかも。それほど凄いんですよ。ポップスをはじめとして、おおよそすべからくの歌はもう全く新しいものが出てくる余地はない、と思っていたのに、こういう境地があったのか、と。分野としては「孤独」。バンドはハードで巧者ばかりの男所帯なのですが、その楽器やコーラスがオンナ林檎と対をなして、"泣いて"いる感じが実にセクシー。3分間、の事柄を歌い、実際に曲の長さが3分間という、宮島達夫、村上春樹、ウォン・カーウァイという時代の才能と引き合うテーマもヤバいわけです。これ、心ある人は買った方がいいですよ。
 
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