Powered by Blogger.
 
2017年11月29日水曜日

2017年11月29日

フィリップ・ジョルダンPhilippe Jordan指揮、ウィーン交響楽団@横浜みなとみらいホールに行ってきました。演目は、ベートーヴェンの『運命』とマーラーの『巨人』という、まさに牛肉どまん中(駅弁界の名作ね)な演目。

でどうだったかと言いますと、スゲー上物、だったんですよ。とにかくものすごく意識が細かくて、交響曲の「音響」をこれだけ繊細にチューニングしつつ、その一方でカタルシスを堂々と用意するその腕前にガッツリ心を掴まれました。

特にベートーヴェンの「運命」の2と3.4楽章は、ヤられましたね。ベートーヴェンの楽曲の特徴として、雄々しいツッパリの後に弱くてデリケートな感情部分がむき出しになるところがあり、私はいつもこの曲に関してその加減を味わうのですが、そこんところがこのフィリップ君、本当にカッコいい。「粋」というか、センスがいい。

私はクラブカルチャー経由のクラシックファンですが、この人ほど、一流DJ卓のツマミ操作を思い起こさせる人は今までいなかったかも。なので、マーラーの『巨人』は推して知るべし。例の有名な「森のカッコー」擬音あり、の第1楽章は、まさに、アンピエントの雄、クリスチャン・ボーゲルCristian Vogelの境地と一心同体。不意に入る木管、空気のざわめきのような弦など、とにかく、自然とはこうあるべしというバランスの良さ。バランスの良さをもうちょっと詳しくいうと、「音楽が意図したものではなく、そこに普通に在ったかのように聴こえる」という境地。そう、世の中の音響ファンは、フィリップ・ジョルダンのマーラーを追っかけてほしいものです。

同じ指揮者でも、散々お付き合いしたアンドレア・バッディストーニが楽曲を自分の中に取り込んで咀嚼し、消化した上で「俺様」を乗っけて表現するのと違い、フィリップ・ジョルダンは、曲を「食らって」はいないんですね。曲の隣にいて曲を彫り出す、というか、大きな箱庭を作っているという感じ。そのマニュピレイト感は、また、DJの手つきに似ているんですよ。

今、大注目の指揮者、クルレンティスとフィリップ・ジョルダン、両方を生で体験して、両者持ち味は違えども、交響曲をひとつの「音響」ととらえ、響きのツボを展開していくミキサー的耳の良さ(クルレンティスの古楽アプローチは、巷のアナログ版復権とシンクロだし)は似ているなあ、と思った次第。

楽屋でご本人とパチリ。ロンドンのゴードンラムゼイでビジネスランチしていそうなエリート美男である。

 
湯山玲子公式サイト © 2011 DheTemplate.com & Main Blogger . Supported by Makeityourring Diamond Engagement Rings