Powered by Blogger.
 
2018年1月4日木曜日

2018年1月4日

ベルリン二日めの元旦は、コンチェルトハウス管弦楽団Konzerthais Berlin@コンチェルトハウスと、リアス・カンマーコーアRiss Kammer Chor@ベルリンフィルハーモニーのダブルヘッダーつまりはしご酒。

「絶対に現場じゃないと、理解できないことがある」というのは、私の編集者、ライター時代からのモットーなのですが、その極め付けだったのがリアス・カンマーコーア(どうもこの響き、お笑いのザコシショウを思い出す。ハンマーカンマー!)のハイドン『天地創造』通しでしたね。

オケのスタイルは、当時の楽器を復元、ピリオド楽器による音響を再現した古楽といわれるもので、これ、今やクラシック音楽会の大トレンドになっています。まあ、このオケそのはいえハイエンド奏者を集めて、楽器の性質と歴史知り尽くした、もうもう研究者兼指揮者のような、ルネ・ヤーコブスRene Jacobs(元カウンターテナー歌手だった!)がまとめているのだから最強。

とにかく、全員がルネッーサンスの髭男爵とバロックの楽士の霊が憑依したんではないかというような音空間が継続。特にキーがなくて倍音が出せないナチュラルホルンやトランペット、よくもまあ、入りのタイミングと音色のキープができるよなあ、と感心しきりです。それに女19人、男15人の合唱団が加わってくる。ひとり、パンキッシュな赤い髪の女子がいて、さもありなん。古楽、そういったクラシックの非優等生(もの凄くいい意味で)を集めてますよねぇ。

で、今回私がぴっくりしたのは、このヘンデルの『天地創造』のヨーロッパにおける意味。『四季』と並ぶヘンデル、オラトリオの傑作ですが、『四季』に見られるキャッチーさはなく、ソプラノ、テノール、バスの歌手がそれぞれ、天使たちとアダムとイヴを担当、キリスト教の天地創造を歌で語り継いで行くという趣向。そう、日本で行ったら、講談ですわ。これ純粋な音楽視聴というよりも、聴衆にどれだけのバックグラウンドがあるか、を問われる演目なのです。

たとえば、歌舞伎に『楼門五三桐』という石川五右衛門が南禅寺の山門のてっぺんに登って「絶景かな」とキメセリフを言うだけの正月によくかかる芝居があるのですが、私たち日本人は、寿司屋にあるような光量たっぷりの視覚、「新春」という言葉に代表される、心機一転の新しさ、めでたさ、光景が染み入っているので、この芝居に対して、それらの教養資本を使って感動できるのですが、それがない外国の人々には「ただの一発豪華芝居」となっちゃうんだろうな、という話。

で、ベルリンの観客はどうだったかというと、本当にみなさん大感動のスタンディングベーション。この熱狂は音楽だけの純粋感動ではないことは、となりの老夫婦の興奮ぶりからもよくわかる。歌われた歌詞に艶笑小話的なものがあるのか(アダムとイヴ、ですからさ)、クスクス笑いも漏れていて、『天地創造』のドイツという国内ならではの、非常に芸能的な一面を大いに感じることができました。

クラシック音楽は「人種や地域を問わないオープンシステム」なのですが、こういう経験に出くわすと、心底面白い。イタリアのオペラも一見、そう感じられますが、あれらの多くは恋愛などの世界共通モードを表現しているので芸術として理解しやすい。(そうじゃない方のオペラ、まずヤベーヤの「預言者」は今週木曜に観劇予定)でも、ハイドンのオラトリオなどは、本当にこちらは教養を食らい、セッディングする必要があるんですよ。

歌手は古典オペラの若き名手、ロビン・ヨハンセンRobin Johannesburg が、この時代ならではの鈴を転がすようようなテクソプラノを発揮し、セパスチャン・コールヘップSebastian Kohlheppが晴れやかなテノールを披露。バスのミシェル・ナギMicheal Nagyという美男の美声も印象的でした。

さて、もうひとつのコンチェルトハウス管弦楽団ですが、指揮者のアレクサンダー・シェリーAlexander Shelleyは真面目な感じ。一曲目、オットー・ニコライのオペラ『 の序曲』は万華鏡のように曲調が変化するので、もっと遊んでもいいようなものなのにお堅いんだよな。でも、ヘンデルの曲などは、堂々とおおらかな音作りになり、オケ全体にグッとノリが出てきたようで、またしても、得意分野問題。

曲といったら、エルガーの『威風堂々Pomp and Circumstance』今回このオケでは最大威力を発揮。この曲の「花道感」に匹敵するのは、ダイアナ・ロスの『Ain’t no mountain high enough』ぐらいのゴージャスなアゲアゲ感を落ち着いた重量感で表していました。悪い方の「特筆すべき」はラルフ・ヴォーン・ウィリアムスの手になるオケ版『グリーンスリーブス』。言わずと知れた世界遺産並みの美メロですが、編曲が本当にダメ。こういう場合、大抵、弦がメロディを対位法的に追っかける、クラシックあるあるアレンジが施されるのですが、これがねえ、こういう特別メロの場合には禁じ手。メロが良いほどものすごく下品になるんですよ。本当にこういうの、フィル・スペクターやバート・バカラックのアレンジ感覚を見習ってほしいものですわ。このところ、ポップスの編曲オケ版って流行っていますが、本当に心配。

して、今回の目玉はロックスター並みのルックスでオルガン業界に彗星の如く現れた天才風雲児、キャメロン・カーペンターCameron Carpenter。ラッキーにも多彩な音色を繰り出してくる彼の手元が、音響版に映って丸見えなので奏法がよくわかる。ヘンデルを経て、アンコールで弾いたオリジナル曲(多分)を通してはっきり感じられたのは、この楽器の持つ、意外にも俗っぽさ、大衆性というもの。いそう、オルガンって、教会音楽の要だし聖性の音色なんじゃないか? と思った人は多いと思いますが、本性は「俗」。ピアノがどんな使われ方をしても、クラシックの真善美を伝えてしまうのと、真逆なんですよ。

白玉で和音を長く引き延ばしている分にはいいのですが、カーペンターのように超絶に走ると、アコーディオンとかハーモニカとか、ロックブルースのハモンドオルガンなどのリード鍵盤楽器の、言わば大衆酒場、ライブハウスの匂いが立ち上がってくるアンビバレンツ。これはひとつには、この楽器、もの凄くロック/ポップスのアレンジに多用されているというというのもあるでしょうね。日本にはエレクトーンというガラパゴス的な電子楽器もありました。高校の軽音楽部のキーボードとかの。聖でいて俗。オルガンはキリスト教布教の尖兵ツールだったわけで、本当に楽器としては「抜かりなし」ですな。

写真はリアスカンマーコーアのカーテンコールと良い席を抑えてくれたプレスのニナNina Jozefowicz嬢。でかい肉はコンツェルトハウス前のビール屋で「すぐできるやつ」という注文に対して出てきたギャートルズ的な肉www。もちろん、食べきれずtake away。

 

 


 
湯山玲子公式サイト © 2011 DheTemplate.com & Main Blogger . Supported by Makeityourring Diamond Engagement Rings