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2018年7月10日火曜日

2018年7月10日

ブルガリア、ウィーン旅から帰ってその週末に、小倉、大分に出かける湯山玲子、2018年の夏www。馬鹿なのか。

いやー、そもそも、指揮者の坂入君に飲み屋で「そろそろ、小倉の<もり田>に行く季節だぜ」と話したところ、彼がそれに乗って、それでもって彼の師匠で、何度もその素晴らしさを語られたフェドセーエフの指揮公演in大分をくっつけたという、ザッツ青春な思いつき旅行だったのです。

しっかし、記録的な大雨で新幹線を払い戻して、飛行機に変えての強行軍。「キャンセルが出ているに違いない」と、名店<天寿司 京町店>にダメ元で電話を入れたら、ビンゴ。

噂の<天寿司>。一言で言えば、「こんな寿司、世界中のどこを探しても存在しない」というはっきりとした個性を打ち出した寿司。音楽で言うならば、バルトークとかフランク・ザッパ。酸味(かぼす)、辛み(唐辛子)という刺激を通奏低音に置いた重量級のパンチが、のっけのトロから口の中を襲い、倒れそうになったボディに2発目の赤イカの飾り握りの味覚が炸裂。それが途中に、恐ろしく甘くてやわやわとした帆立の握りなんぞの緩急を付けてラストまで突っ走るという、驚愕の世界観。

すきやばしを頂点とした江戸前ヒエラルキーが厳然と存在する業界中で、この勇気に脱帽ですが、凄いところは「魚の味を引き立ててこそ」という不文律を<天寿司>は破壊したところ。特に皮ぎしの脂の風味がキモの鯛は、もうそれが口中の最後の残り香にちょっと残る程度の複雑系の味覚が立ち上がるのです。先ほどパルトークといいましたが、調性音楽を脱し、無調音楽を打ち出したシェーンベルクの方が相応しいかも。

で、翌日の昼は同じく小倉の<もり田>へ。拙書『女ひとり寿司』で、スケルツォのような寿司、と、その忍び込ませた唐辛子の仕込みから来る、軽快さに惚れ込んだお店ですが、80代の大将はまだまだご健在。そもそも、かぼすや唐辛子使いは、<天寿司>の先代が始めたやり方で、もり田の大将はその一番弟子だった方。それにしても、その解釈が両店とも違うところが面白い。<もり田>の寿司の主眼は魚と酢飯のポリリズムのようなハーモニー。赤貝とヅケにヤられました。

その後の「飲み」は、店構えが私の好みである「下北沢かバリのマレ地区の外れにある骨董飾ってありそうな店構え」のバー「まある」に、一見で入りこれまた大満足。その後で、坂入君の行きつけの店(っつったって2日連続なだけだが)<丸和前ラーメン>でおでん&ハイボール。

週末の夜だけに続々集まる若者達ですが、その男たちが皆、異様に不良お兄系でカッコいいのにビックリ。といってもエクザイル系ですが、その輩たちにまた、板野友美系の若い女がきゃぴきゃびお相伴しているのにちょっと感動。

 



でもって、NHK交響楽団演奏会 大分公演@iichiko総合文化センター iichikoグランシアターで、以下のプログラム。ムソルグスキー(リムスキー・コルサコフ編)/交響詩「はげ山の一夜」チャイコフスキー/ロココ風の主題による変奏曲 作品33*ショスタコーヴィチ/交響曲 第5番 ニ短調 作品47指揮:ウラディーミル・フェドセーエフ チェロ*:タチアナ・ヴァシリエヴァ

人間の心理には「悲しいほどお天気」by松任谷由実という、悲しさを表すには明るい表現、あるいはその逆、という複雑系がありますが、まさに、マエストロ、フェドセーエフの指揮表現はそれ、でしたね。

何と言っても、ショスタコーヴィチ/交響曲 第5番 ニ短調 作品47、ですよ。これ、申し訳ないが、冒頭のドシャーン、ジャジャーンから途中の「突然軍隊マーチ」だとか、はっきり言って、お笑いギリギリのイキリ立ち曲調、つまりキリキリした緊張感がキモと思っていましたが、フェドセーエフの棒の下では、この曲の深く静かな森の空気のような低音弦のトッティーの美しさ、フルートソロの香気の方が際立ち、バイオリンのユニゾンによる旋律の乾いたモダニズム、つまり、私がこの曲に見落としていた、多くの要素の方が際立ってくるのでした。なので、「悲しいほどお天気」であり、聴いている間に「ナニカアル」というこの作曲家の迷宮とも言える音響の世界に、導かれるような演奏だったのです。

まー、寿司で言うならば、ネタにハードコアな熟成鮪がこようが、アワビがこようが酢飯の力に落とし込んで、印象を別次元にもってくる、という一流寿司店の手つき。これ、ギャグではなくて、両者は本当によく似ている。



 
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