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2019年9月1日日曜日

2019年9月1日

パーヴォ・ヤルヴィ指揮N響「フィデリオ」@Bunkamura。本日14時〜のマチネがある故、一筆書きまする。

いや、これ行った方がいいですよ。この「フィデリオ」という演目ベートーヴェンが生涯、コレしかオペラを残さなかったという問題作。わたくし前々回の爆クラで(ゲストはN響コンマス、篠崎マロ史紀さん)この演目を取り上げ、この全曲を聴きまくり、その才能には感応享楽&シャレオツ部分がありながらも、そこらへんで勝負せず、根源的かつ普遍的な「芸術ができること」を追求してしまう、この作曲の変遷と引き出しの多さが、本当によく分かる。

特に今回のN響のナマを聴いてひっくり返ったのは、囚人達がつかの間、陽の当たる場所に出て。その喜びをうたう一幕ラストの部分。これね、本当に「生きたい」という人間に普遍的な感情があるのならば、そのエネルギーが入った感情の移し替え。いや、巷に現在飽和中の「がんばれソング」とはケタが違う、コミュニケーションなんてモノではない「ソレ」に仰天ですよ!!!

支えた歌手達も凄くて、下の投稿の敬愛するオペラ通である加藤浩子ちゃんが「こんなメンツ、ヨーロッバでもあり得ないっすよ」と打ち震えていました。

確かに全員、車種が違う、というか、全員ロールスロイス・ファントムだよ。声も凄いんですが、テク、特に「演技」に近い声の表現が細かく、そして的確。二幕の最初、牢獄につながれたフロレスタンが「神よ! 」とハイトーンで歌い出すのですが、ここの「Goot」は歴代歌手達は、叫び、という感じの気合いを込めるところ、ミヒャエル・シャーデは、弱音でキメたんですよ。それによって、彼の人物像が大きく変化する。まー、これこそが、歌手的表現ですよね。

演歌やポップスはこの手の表現者がうじゃうじゃいますが、オベラで自在にそれができる人は、そもそもの歌唱法からして難しいのだろうね。

というわけで、今すぐ、文化村に走って下され。

写真は、パーヴォ・ヤルヴィとフィデリオ役の凄腕、アドリエンヌ・ビエチョンカさま。

 
 
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