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2008年11月12日水曜日

菊地成孔のナイト・ダイアローグ・ウィズにご出演の巻なり



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『菊地成孔コンサート2008』スペシャルトーク
<菊地成孔のナイト・ダイアローグ・ウィズ(NIGHT DIALOGUE WITH)>

> 【第一夜】2008年11月 9日(日) 17:30開場 18:00開始~19:00終了予定
> 「女は夜遊びの時、何に金を払っているのか?」
> ゲスト:湯山玲子(クリエイティヴ・ディレクター)
> ●会場: Bunkamuraオーチャードホール・ビュッフェ

↑というトーク・イベントに、昨年に引き続き出演いたしました。

菊地さんとは、けっこうトークを重ねているんだけど、今回ほど時間あたりの情報量が多いことはなかったよーな気がします。まあ、二人ともまず、相手の質問の意図に正確に答える、というよりも、その問いの中の名詞に反応して、全く違う話題を振り替えし、話がどんどん転がっていく。
でも、これってガールズ・トークの典型スタイルで、「デスプルーフインザグラインドハウス」でタランティーノが活写したあの「だらだらしゃべり」の醍醐味といえましょう。菊地成孔がこの女フィールドでやすやすトークバトルできるのも、彼がジャズのサックス吹きだから。インプロビゼーションって、そういうことじゃないか!

今回、図らずも大いに盛り上がったのは、50年代文化と80年代文化好みの「ゴッパチ」と70年代文化と90年代文化志向の「ナナキュウ」について。前者がサンダーバード、ガソリンスーパーノヴァならば、後者はプリウス。前者がピッチーニのハイヒールならば、後者はピルケンシュトック。人工美対自然。
もちろん、私も菊地さんもバリバリ前者。私の血中には中学の時、シビレまくったフィフティーズが色濃くあるのですが、彼もそのクチとは今の今までシラなんだー。終わってから楽屋で、「絶対、フィフティーズのパーティーやろうぜ」と盛り上がった次第。これ、ホントに企画しようっと!
こういうのは自然と親の教育と文化環境が出るもので、ウチの親も菊地さんの親も昭和一ケタで、戦後の焼け野原でアメリカ文化へのスウィートかつアン ビバレンツな想いを感じながら、青春を過ごした両親という共通点があるのです。ジャズの響き、そして、高度成長期に初めて、「夜遊び」が都市の特権 として発生したわけですから、そのへんがあいまって、子供のアタシたちを真綿のように洗脳していったというか・・・・。
あと、トークショーで言いそびれたのですが、ゴッパチ嗜好の人たちは、「子供的」でもあります。私は小学校の時、今でもつきあいのある遊び友達がい るのですが、彼女と誓い合った「小出しにして、一生、遊びたい」という言葉をこんなに真剣に実践するとは思いませんでした。ネオテニー=幼年形成、という言葉が全くふさわしい、未成熟ぶりです。「昔はお母さんも遊んでたのよォ」 という物言いに対しての反抗でもあったわけですが、そういう、ツッパリの美学に似た考え方はホント、大嫌いなの。ツッパリ文化は大好きなんですけれどね。
ペペ・トルメント・アスカラールの「記憶喪失学」は、新生ペペの力強くも分裂気味の大変に美しいアルバムです。ちょっとバルトーク入っていて、かつ、ロシア的な重層感もあり、なんだか、土っぽい洗練がたまらないわけです。
南米の大地とロシアの大地が串刺しにつながる、菊地流の地政学。これ、香水にたとえると、まさにアルチザン・パフュームの名作「トゥンブクトゥ」なのね。トンブクトゥはアフリカの都市なので、あらら、大陸つながりはそこまでいっちゃった。これ、今度、ホントに彼にプレゼントしようっと! 

<キャプション>
「記憶喪失学」の二曲目、「メウ・アミーゴ・トム・ジョビン」からインスパイヤされた本日のファッション。サーカスの太った玉乗りの女のイメージです。

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2008年10月25日土曜日

人生初、男性ファッション誌モデル撮影に挑戦の巻



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いわゆる、ダブルラインというヤツです。


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要するに、脇と腹の肉も総動員するとこういうバストに


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恐るべし。コルセットの威力。


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100年ぶりにウェスト出現。


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前人未踏の快挙を成し遂げたドリームチーム。左から、カメラの半沢健さん、AD!野宮真貴さん、ヘアメイクの富沢ノボルさん。


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シャンパン乾杯。
左の美女は最近痩せた担当編集の家倉ちゃん、右が編集長の松下ちゃん。まっちゃんの頭に隠れちゃったADの奔保さん。


就寝前の安らかな時間にネットサーフィンしていた方々、ごめんなさい。いやいやー、みなさん、びっくりしたことでしょう。
 不肖、湯山人生初のスタジオ、モデル撮影がこのたび実現したのでご報告します。大好きなボディーパフォーマー、アニー・スプリンクルのアートの中に、普通のオバハンをピンナップポルノスターに変身させる「THE TRANSFORMATION SALON」というのがあるが、まさしくそれ。
 マニアの皆さんのためのおふざけグラビア、もしくは、自費で年賀状撮影か(一度やってみたいものだ)と思いきや、ちゃんとしたお仕事なのですよ。しかも、堂々、エクザイルや市川海老蔵という面々が表紙を飾る、ハードコアで男伊達の人気メンズファッション誌「The COVER magazine」の11月号のページを飾るのじゃ。
 なぜ、こんな事態になったかと言いますと、編集長の好漢、松下和裕氏から連絡があって、青山で水炊きを食べたのがこの夏。彼曰く、
 「いやー、今の軟弱な若い男に精神注入棒を入れる連載をぜひお願いしたいんですよ。湯山さんいつも飲んでは若い男に説教垂れてるアレを男は待っているですよっ。ほら、僕なんかの世代はさ、ホットドッグプレスの巻頭Q&Aの北方謙三ページを読んで、男の道と言うものを知ったわけです。つべこべ言わず、男はソープへ行け! そう、これを湯山さんから今、若い男性に言っていただかないと、若い男は洋服ばかり買い続けて、日本国の将来は大変なことになってしまいます」
 若い男が服を買って内需拡大すれば日本国は助かるんじゃないのかと思うのだが、うー、これあまりにも無謀すぎる! だってさ、こーんなクロームハーツなイケメン狙いの読者たちが、何で今さら、アラフォーどころかアラフィフのババアの説教を聞くとは思えん、と辞退申し上げたのですが、なおも食い下がる松下氏。
 「いや、大丈夫です。そのために作戦があります。最初にグラビア撮影をしてガツーンとかましましょう! 昔、釣りキチ三平で読んだ、ハンマーで石を叩き、その音で眠った魚を気絶させて採るガッチン漁という伝統的な漁法があるんですが、それでいきましょう!」
 というわけで、野宮真貴さんにちらっとその話をしたら、「やるやる~。面白すぎる。私、ADやる~」ということで、あれよあれよとカメラ、半沢健、ヘアメイク、富沢ノボルというドリームチームが組まれちゃったんですね。
ーーこのくびれがいいね」と君が言ったから10月23日はウェスト記念日
 野宮説によるととにかく洋服はウェストくびれ勝負と言うことで、急遽、その道のパイオニア、ベビードールの緑川みらの氏に相談し、あれよあれよと衣装が決定。PV素材で作った打ち掛けに帯ならぬコルセットで挑むことになったわけです。打ち掛けは参考商品で作ったもののあまりにも原価が高くなってしまって商品化はあきらめた商品。いつもお世話になっているカシケイブラウンダイアモンドさんからは、今期の新商品、EAST AND WESTのラインからハイジュエリーをバーンとお貸しいただいて、確かにガッチン漁としての威力はマックスバリューに。
 そして、ご覧の通り、100 年ぶりに我が身にウェスト出現! これだけでもう、見違えるほどのスタイルができあがったのです。着物の帯よりも胸を圧迫しないだけに全然、苦しくないのにびっくり。今までこの威力を知らなかった私がバカだった。これ一発でハイブランドドレス、全部イケますよ。 
 いつもはライトの向こう側にいる自分が、被写体を経験するというのも相当面白い経験でした。まず、思い知らされるのが、自意識と見た目の大きなギャップです。「きっと、こうなっているはず」ともくろむ表情とポーズが、次々とモニターに現れる形に全く現れてこないという乖離がものすごい。イメージと実体がついていかないわけで、まるでスキーの初心者のようです。このあたりプロの野宮氏に尋ねると、撮られなれるとその乖離の幅がほとんどなくなる、のだそう。
 あとですね、途中から明らかに表情がキマリ出した瞬間があり、みんなが一斉に「入ってきたねー」と誉めてくれるのですが、撮られている自分の内面にはまーったく心境の変化が無いんですよ。なのに、明らかにモニターで見ても愕然と、撮り始めと違う表情が出てきている。これ、何なんでしょうかね。無意識領域の仕業としか思えない境地が立ち現れてくるのです。ほら、英語ってさ、あるときから突然、バーッとしゃべれるようになるじゃない、それに似た感じなのかも。
  感覚としては、私ひとりにスタッフ全員が対峙している一対多勢の感じ。スタッフの働きをもの凄く精緻に観察することになります。映画俳優やモデルさんって、わりと最初から名監督やカメラマンに転化することができるでしょ? その意味が少しだけわかったような気がします。なぜならば、彼女、彼たちは、制作の現場を最も”知る”ことができる立場にあるからです。
 撮影時には、もちろん「キレイだ、美しい」という言葉を全員から矢のごとく浴びるのですが、これも凄まじい快感です。女という文化装置の中にはこの”キレイだ賞賛”はもはや血肉化しているのだなあー、とあらためて実感。しかしながら、これ、モテとは同じ様でいて違うタームなんですね。モテはほとんど、人間力というか色気も含め内面の問題が大きく占めるので何だか仕事とか偏差値っぽい。
 しかし、"キレイ"ということはそのあたりをぶっ飛ばす暴力的な力を自覚し形として宿すようなことになるわけで、自分、そういえば、そこのところの自助努力を最近とーんとしていなかったことに気づきました。これ、ダイエットの強力なモチベーションになるかも。←ホントか。といいつつ、「このままでも、いざというときにはコルセットでキメるぜ」という逃げ道も知ってしまい、アンビバレンツな毎日が続きそうではあります。
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2008年10月2日木曜日

深浦加奈子お別れ会より一週間目の追悼



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深浦加奈子のお別れ会が、一週間前にウェスティンホテルで行われました。

その時はまだ暑かったのだけれど、この数日気温が下がって季節が変わってなんだか、やっと平常心に戻りつつある、のかなあ。(表向きには普通にいろいろ活動してたんだけどね)お別れ会の時、友人代表で贈る言葉を述べさせていただきましたが、そこにはまた、皆さんが知らない彼女の素敵なエピソードがあると思いますので、ここに掲載します。いや、しかし、私もとりあえず今後の人生しっかり歩き続かねばいかんよね。

以下、九月二十四日(水)@ウェスティンホテル恵比寿にて

深浦加奈子さんあなたが亡くなって今日で一ヶ月が経ちます。

五年間の長きにわたる闘病生活でしたが、今年の二月には元気に舞台で主役を務めていたこともあり、「もはやガンと折り合いを付けて、元気に生活していけるのでは」と思っていたら、八月十日にご実家から入院の連絡が入り、それから、ほどなくしてあなたは帰らぬ人となりました。
話したいことがいっぱいあったのに、もう、それを直接、耳にそれを届けることは出来なくなってしまいました。「退院したら、その時はお茶でも飲みながらいろいろ話をしよう」などとのんきな計画はあなたの死に際してもろくも崩れ去りました。病室での姿を見てもなお、「フカウラのことだから大丈夫」と私たちは皆信じていたのです。
 あなたに伝えたかったことを今、ここで一方的ではありますが、ほんの少しだけお話しさせていただきたいと思います。

あなたに初めてであったのは、小学校の四年生の四月でした。

まつげの長いもの凄く可愛い女の子が転校してきた、という噂は違うクラスの女の子たちの間でも話題になり、「つけまつげを体育館の裏で付けているのを見た!」というような無邪気な噂が駆けめぐったのは、今思えば、将来、女優として活躍するあなたの、いっとう最初のほほえましいゴシップだったと言えるでしょう。
 地元のこどもの国合唱団に参加していた縁で、私たちはすぐに大の仲良しになりました。
こども同士の無邪気な友達関係と言うよりも、たんに気が合う、というだけでもなく、私はとにかくあなたの放つ大人びたセンスやものの考え方に強くひかれたのです。
 当時、アバンギャルド路線をひた走っていた赤塚不二夫のマンガや筒井康隆、遠藤周作の交友録エッセイのような表現はあなたと私、そして数人の変わり者の女友達の間のバイブルのようになっていましたが、そんなセンスを最もクールに、そして大人顔負けのシニカルさでもって実行していたのはあなたです。当時、話題になり始めていた原宿の噂を聞きつけ、精一杯のおしゃれをして出かけたこともありましたね。あなたは未知の世界に私たちを触発し、連れて行ってくれる先達でした。当時のあなたは私のスーパースターでした。

こんな出来事がありました。

私たちの中学は私服でしたが、ジーンズだけは禁止。そして、先生の権力は絶対でした。ところが、遠足の時のあなたの出で立ちは、当時の流行のフィフティーズそのままのピンクのマンボズボンに襟を立てたスイングトップ。それはジーンズなんぞよりもよっぽどの不良アイテムゆえに、ことの経過をハラハラして見守っていたのですが、時代の風俗に無知な先生は「フカウラのスラックスいいね」とのんきに言う。それを大人を虜にする花のような笑顔を見せて「ええ、スラックスですから」と答え、後ろでぺろっと舌を出すようなところがあなたにはあった。
 全く、凄いウラバンぶりです。でも、こういうことをひとりでさらりとやってのけるあなたは、ものすごく格好良かった。男が男に惚れるという言葉がありますが、心ある女子はみんなあなたのファンでした。

 そんなクールなあなたが入学した女子校を止めて、日比谷高校を受験し直した時も驚きましたが、明治大学に入学してから、第三エロチカという過激な名前の劇団の旗揚げに参加するというのは寝耳に水でした。旗揚げ公演。酸欠になりそうな小劇場の暗がりで爆発するエネルギーの塊のようなあなたの姿は、今まで私が見知っている深浦加奈子のとは別の生き物のようで、その変化と圧倒的な存在感に私は驚愕しました。
 時代は相変わらず、というか以前にも増して、軽さ、意味の無さ、本気ではないことがカッコ良いというムードに覆われており、私も含めほとんどの若い女性はその影響下で女子大生ブームとやらに浮かれていたのですが、そんな風潮を尻目に、あなたはひとりで決して軽くはない、本格的な世界に毅然と足を踏み入れていました。

 今、いっしょに過ごしたいろんな場面が、出来事が思い出されます。
 山下達郎の葉山マリーナのコンサートに行った帰り、雨の中ずぶ濡れでボンクラ大学生の車をヒッチハイクしたことがありましたよね。そんなときにあなたがその輝くばかりの美貌とともに見せる”ぶりっこ”演技ぶりは本当に面白かった。横浜にあなたの車で遊びに行ったらレッカーされて、警察であなたは「何の悪気もない、か弱い女子大生」を迫真の演技で泣いて交渉したけれども、鬼の神奈川県警は車を返してはくれませんでした。あなたのとてつもない愛らしさ攻撃に心を動かされなかった若い警官はまさに警察の鏡でしたが、し方なく、ふたりでバンドホテルに泊まって、バッキー白片のハワイアンショウを観ましたね。それは、まるで昭和30年代にタイムスリップしたような空間と時間で、私たちは口をぽかんと開けて、ウクレレのあっけらかんとしたサウンドに身をまかせていました。 その不思議なホテルも今はもう在りません。  こんなふうに、あなたとの思い出のほとんどは、何がおきるかわからない冒険活劇のようでした。一生、いつまでもあなたと一緒に遊んでいたいと思わせてくれるすばらしい時間でした。  当時の若い女性というものは、今と違って大人に成った以降の選択肢がほとんど無く、限りなく精神的にはノーフューチャーでしたから、私たちはいつも苛立っていたのです。そんな中で、あなたはいつも凡庸な世間に切り込んでいく突撃隊長のようなところがありました。

 それから10数年。30代半ば、こちらがやっと本格的に仕事や人生と取り組むようになって、ようやく、あなたが若い時分に決断した境地に達し始めた頃、あなたは今度は軽やかに、テレビというまた別のプロフェッショナルなステージで独自の活躍を始めていました。あなたは常に私たちの前を行く人でした。

 そんな行動力と胆力を持った女性だったけれど、芸能界でメジャーの仕事が増えてからは、そのエネルギーが包容力のようなものに変化していったような気がします。アイドルから演技者として脱皮しようとしている女優さんの悩み相談を受けたり、若い役者さんたちの面倒をよく見ているようでした。それがどんなに役者さんたちの励みになったかということは容易に想像がつきます。

 深浦さんは本当に優しい人でした。優しくて強い人でした。「説教するぞー」などとおどけてはいましたが、たとえシビアなことを言っても、その根本には深い愛情があることを皆知っているので、彼女に相談を持ちかけるのです。私の取るに足らない不安や愚痴を温かく、そして厳しく、辛抱強く、電話で何時間もつきあってくれたことがたびたびありました。
 五年前、親しい友人だけにガンであることが知らされました。

 友人とは第三エロチカの初期のメンバーと地元久我山で深浦加奈子のカッコよさ、おもしろさに惹き付けられ30年以上も遊び続けている面々です。
 皮肉なことにいつもはお互いに忙しくて全員が顔を合わせることができない我々もこの五年の中ではたびたび全員が集まり、一緒に食事や旅行に行くことができました。最後の入院では、久々に病室に全員が揃って、写真を撮ったりバカ話をして盛り上がったり、まるで、中学時代の夏休みの登校日のような不思議な時間が存在しました。あなたは酸素チューブを鼻に入れながらも、相変わらずのシニカルな冗談を言って皆を笑わせていましたから、私はちょっとほっとして、小学校の時のマンガの貸し借りのように、「デトロイト・メタル・シティー」全巻を病院に送りましたが、それが読まれることは二度とありませんでした。

 それから、幾日も経たないうちに、病状は急速に進み、病院で最期のお別れをしました。モルヒネで意識がぼんやりした中で目と目が一瞬合ったのですが、すぐにあなたはうつむいてしまいました。しかし、握りしめた手をぎゅっと握り返してくれて、あなたは「ありがとう」と一言言った。
 私は私でものすごく言いたいことがあったのですが、その時は全く言葉が出ませんでした。「ありがとう」はこっちが言わなければならない言葉だったけれど、それをあなたの耳に届けることはもうできなくなってしまいました。
 深浦加奈子さん。

 あなたが天国に旅だった日より、前にも増してあなたが近くにいるような感じがします。それはまるで遠くに暮らす恋人を思う気持ちのようです。
 映画を観れば「この作品、フカウラだったら手厳しく酷評するだろうな」とか、下町の居酒屋に行けば「あのカップルについてフカウラならこういうね」とか、私のすべての生活にあなたが顔を出すようになった。
 あなたと話す機会は永遠に失われてしまいましたが、私の心の中にはしっかりとあなたという存在があります。もう、深夜の相談飲み会はできなくなりましたが、そんな夜はひとりで心の中のあなたに語りかけることにしましょう。

 あなたのにこやかに笑う写真に最後のお別れを申し上げ、心からご冥福をお祈り申し上げます。



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2008年9月1日月曜日

さようなら、深浦加奈子。追悼。



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深浦加奈子さん(左)と私。80年代前半。一緒に飲んでるところ。

 
 深浦加奈子が亡くなって今日で一週間が経ちます。それでも毎日は過ぎていき、その事実を頭では理解しているのですが、心がそれに伴っていきません。今日も電車で栗色の長い髪を緩いポニーテールにしている女の子がいたのですが、その髪の毛の感じがフカウラにとっても似ていて、またまた、急に胸が締め付けられてしまいました。彼女の断片が思いがけないとこで目に入ってきて、そのたびにうろたえるということがこれからかなりの間、続くことでしょう。
 三十年以上前に、小学生の時に仲良くなってから、ずっと友達でいて、いろんな時代のいろんな季節にホントに彼女とは良く遊んだものです。
 小学校の時、放課後、ふたりでテレビを観ていて、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の有名な「裕次郎ひとりドラム大暴れ」のシーンを見て床を転げ回って爆笑し たことがあったっけ。今でこそひとつの様式として認知され、普通に鑑賞できるあのシーンですが、当時は「見ているこっちが赤面する突拍子もなさ」の集大成で、 お互いに目の玉を白黒させて、笑い転げました。そんなマニアな笑いのツボが一緒だというので、「コイツとは一生友達だ」と幼い私は密かに感動したものでした。そういえば、当時、アバンギャルド路線をひた走っていた赤塚不二夫の「天才バカボン」や山上たつひこの「ガキでか」にも一緒にハマることができる数少ない不思議な 女友達が深浦でした。彼女から借りっぱなしになっている筒井康隆がきっとまだ、実家にあると思います。
 第三エロチカを止めて、加藤芳一さんや元WAHAHA本舗の村松利史さんたちとお芝居をやり始めたとき、彼女が方向性として選んだのは「お笑い」だった のは、だから、必然でした。この時、私は一番彼女と良く会っていて、「舞台で人を笑わせる」ということの難しさをもの凄く具体的に聞 いた覚えがあります。このころの深浦加奈子は目の覚めるような美貌で、その美貌をものともせず、ナンセンスや毒のある哄笑に挑んでいる最中であり、それは最初から合格点というようなものではなく、それはそれはハー ドな修行のようでした。彼女は大変頭の良い、批評的な頭を持った人でしかも真面目で勉強家と来ている。天然のお笑いの才能があったり、ファニーフェイス だったり、のメリットがないところの、しかも女性のそれは試行錯誤の連続だったようです。
 しかし、そのことの成果は彼女がテレビや映画で名脇役として真に 才能を発揮した近年にはっきりと現れていました。 エキセントリックなお受験ママやナースや小姑のちょっとした表情やニュアンスにもれなく、人間の不条理や複雑な感情の綾を秒速かつ高圧で込めてくる。テ レビドラマの紋切り型のセリフや人間像が彼女の役柄だけ強度を持ちえたのはそんな過去の修養があったからこそなのです。彼女とはいろんな映画やお芝居の話をしましたが、ウディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」のダイア ン・ウィースト、「シリアル・ママ」のキャスリン・ターナーなど、彼女が語る女優論は、たんなる鑑賞者である自分には考えもつかない視点があり、「演者はこれほどいろんな 物事が見えるのか!」というぐらいに刺激的なものでした。役者出身の映画監督は、クリント・イーストウッドをはじめとして、最初から上手い人が多いのですが、彼女も生きていればこの時代、映画をとる機会があったかもしれません。いや、そういうことには慎重だったから、やっぱり女優をまっとうし、希木希林も色を失う素晴らしい怪優、名優になっていたかもしれません。
 人生初めての保護者のいない海外旅行、というのは、彼女も私も一緒に行ったインドが最初だと思います。私が大学四年、彼女が三年の時でした。
 デリーの空港から街に行く白タクスクーターと喧嘩して、道の途中で下ろされたり(よくある料金交渉の決裂ですが、最初にタンカを切って降りたのは彼女の 方)、彼女に求婚するインド人が少なくともふたりはいたり、ベナレスのボートで暮らしているフランス人ヒッピーにタブラを習ったり、多分、この先こ んなに面白い旅行はないだろうと言うぐらいのエピソード満載の珍道中でした。
 北西部にジャイプールというとても綺麗な砂漠の入り口の街があるのですが、そ こで彼女が言ったことが、そういえば、忘れられない。夕方に着いて、ラクダがゆっくりと行き交う夜の街をそぞろ歩いていたとき、急に「この光景、絶対に前 に見たことがある。私はこの場所を知っている!」と何度もいうのです。彼女の美貌はインド人似のエキゾチックなところがあるし、インドの彼の地は彼女の魂 に深い縁があるところかもしれませんね。月とぼんやりとした市街の明かりに浮かび上がるラクダの長い首と椰子の木の光景は、今こうやって目を閉じてもはっ きりと思い出すことができます。肉体を離れた魂は時間も場所にも囚われずに自由だといいますから、彼女はもう一度、あの時のジャイプールの熱帯夜の街に飛んでいったかもしれません。
 荒ぶる魂を持った女でもありました。
 山下達郎の葉山マリーナのコンサートに行った帰り、ずぶ濡れのままヒッチハイクでボンクラ大学生の車に乗っけてもらって帰ったり、横浜に彼女の車で遊びに行ったら、 レッカーされて、警察で深浦、迫真の演技で泣いて交渉したけれども鬼の神奈川県警は車を返してくれず、ふたりで今は無きバンドホテルに泊まって、バッキー 白片のハワイアンショウを観たり、彼女との思い出のほとんどは、一寸先は闇の冒険活劇のようでした。当時の若い女性というものは、今と違って将来の選択肢がほとんど無かったので、限りなくノーフューチャー。私たちはいつも苛立っていて、彼女はその中でもいつも突撃隊長のようなところがあって、ホ ントに格好良かった。飲み屋で私たちに説教を垂れる全共闘オヤジとよく、喧嘩しましたよね。
 しかし、芸能界メジャーの仕事が増えてからは、その攻撃性が包容力のようなものに変化していったような気がします。若い 役者さんたちの面倒をよく見ているようでした。そうなってから、私はふたりだけで遊びに行くことがなくなりました。そのことをお互い大人になったんだか ら、と思っていたけれど、今思えばもっと昔みたいにいろんなことを語り倒せばよかった。天下国家から、マンガに至るまで! 笑いは百薬の長だと思って、久々に私の笑いのツボにはまった「デトロイト・メタル・シティー」全巻を病院に送りました が、もう、読む気がおきない、って言ってたよね。
 一週間前の日曜日の5時頃、私は彼女と病院で最期のお別れをしました。いや、その時はお別れを言うつもりはなかったのですが、握りしめた手を ぎゅっと握り替えしてくれて、彼女は「ありがとう」と言った。私は私でものすごく言いたいことがあったのですが、その時は全く言葉が出ませんでした。イン ドのことやたくさんの思い出話でもいい、その夜、その言えなかった言葉を反芻して、明日こそ伝えよう、と思っていたのですが、翌日、なぜだか全身の気力が 抜けたようになってしまい、仕事を中断してソファ寝してしてしまい、病院には行きませんでした。そうして、その日の夜、彼女は静かに息を引き取ったので す。
 深浦加奈子さんの冥福を心からお祈りいたします。



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2008年8月9日土曜日

コシミハルのミュージックホール、"Le judas"が凄い


 

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野宮真貴さん、コシミハルさん、そして私。バックステージにて。

 コシミハルさんの三年ぶりのミュージックホール、"Le judas"に行ってきました。
 三年前と現在の間に、代官山UNITにて、コシさんに頼み込んでこのミュージックホールのディフュージョン版を企画しましたが、その時におっしゃっていたイメージがついに形になったのです。
http://dwww-miharu.sblo.jp/
 バート・バカラックと同様、頭の中にコシミハルの部屋があって、いつ何時でもその音楽を引き出すことが出来る自他共に認めるファンの私ですが、それにしても今回のステージはホントに凄かった。
 ピアノとファゴット、そしてバレリーナ三人を従え、彼女がある時はアコーディオン、ピアノを奏で、ある時は踊るというスタイルは全く前回と同じ。クロソウフスキー、19世紀末から20世紀初頭のパリ、シュバルツバルト(黒い森)、鞭とリボン、コケットリーに聖性といった世界観も全く同じ。思えば、コシミハルという人はこれを数十年間一貫してやり続けていて、もはやそれは歌舞伎の型のごとし。でも、そのガチガチの記号の中で、躍動する音楽や肉体の自由度とフリーキーさは今回マックス級。
 コシミハルの世界はもうもう、私にとって極上の嗜好品とも言えるものなので、とにかく、そこにそれが舞台として在ってくれるだけで幸せ、というものなのですが、今回はそれを飛び越えて、彼女自身が放つ表現と存在のエネルギーに釘付けになったという感じ。ラッセル・マリファントが振り付けた「TWO」でのシルヴィ・ギエムは、二メートル四方のスペースでとてつもない高速身体運動を披露しますが、その時に感じた印象と取っても似ているのです。
 三年前の前回は野宮真貴リサイタルのプロデュースを始める前でした。あれから舞台制作を経験したわけですが、今回、コシミハルが行ったのは、プロデュース、アルバム作り、演出、振り付け、そして、パフォーマンスというほとんどすべて。これは本当に凄いことで、ロビーでお話しした細野晴臣さんもおっしゃっていたけれど、まさに「成熟したパワーのある大人の仕事」だと思います。中年は(怒らないでね、ミハルさん)こういうことが出来てしまうから、今、若者はその前に手も足も出なくなっているのかもしれませんわね。
そういえば、ピアノをやっていた人ならお馴染みの、「メトードローズ」という初心者の教則本があります。バイエルがドイツ系ならばこちらはフランス系で、私は断然、こっちの方がお気に入りだったんですね。「貴婦人の乗馬」だったり、「月の光」だったりの表題の横に、なんとも不思議なペン画が書いてあったのですが、小さいときの自分はそれが大好きで、練習よりもそっちを見入って妄想したりしていました。コシミハルさんもメトードローズ派であることはほぼ間違いが無い。赤木仁のイラストとの関係を鑑みるに、彼女こそがその”遊び”をピアノからは放逐された私に成り代わり続けてくれているような気がするのです。
 全篇フランス語の歌詞によるアルバムは、緻密で迷宮的なテクノ・オーケストレーションが展開。お気に入りは二曲目の「黒イチゴ」で、猫の声のような、少女の胸声のような音色が耳について離れないんですよね。ジングルのような「ロワイヤル・エプロン」の音階ループは、リロイ・アンダーソンの素晴らしいテクノ解釈ともいえます。
うーん、本当にこういう音楽をつくっている人は、世界で彼女以外にいない!
日本の最大輸出品目なのではないでしょうか。

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2008年7月20日日曜日

菊地成孔 ダブ・セクステッドの萌えポイントとは・・・・。



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菊地成孔の勇姿。ADは宇川直宏。ゆえにクレーン。マトリックスリローデッドとも言えるが、鼠先輩ともいえる。
 菊地成孔 ダブ・セクステッド@DUO公演に行ってきました。 
 いやー、はっきり言って、今までのダブ・セクステッドの中で最高の出来! というか、さすがライブハウスなもんで、PA音響が抜群によかったんですね。ピアノもグランドだし、複雑にからみつき混在するすべての楽器の音のバトルの全貌がはっきりと立ち現れていました。特にダブ・ミキシング担当のパードン木村氏。彼の導入がこのジャズ集団のコンセプトでもあるのだけど、いつもは客席側での操作だったのに、今回はステージ上に陣地取り。結果、今までよりも数倍突っ込んだダブ介入が随所に見られ、特にドラムのスネア乱打にゲートエコーみたいな音色をかぶせて増幅した持っていきようは、サルゴジ新妻、カーラ・ブルーニーの問題歌詞「あなたは私のコカイン、アフガニスタンのヘロインよりも効く、コロンビアの白い粉よりも危険」級のハイライフ・アシッド感バリバリ。
「暴力衝動をコンピューターとオーダーメイドスーツで冷たく制御する、菊地成孔率いる6人組の2枚目にして、二枚目の6人組」っていうのが、売り文句なんですが、コレにはまいった! 上手いっ。音楽系のコピーで私が今まで一番衝撃を受けたのが、某海外メタルバンドの「妖艶だ? 官能だ? 冗談じゃない。バイオレンスよ」っていうのがありましたが、それを大きく上回る出来。これ、本人が考えたんだろうけど、このバンドの実態そのまんまざんす。
スーツの中で身もだえする男の肉体と精神というものは、ジャズのお家芸とも言えるエロス本質。テクニシャンによる攻守相まみえたインプロビゼーションは、どう考えたって、ナニの表徴。という見解でこの夜のプレイヤーを見ますと、私的にはドラムの本田珠也さんに超萌え!(私がドラムを学生時代かなり突っ込んでやっていたこともあって、この楽器にはちょっとうるさいのじゃ)彼のプレイは激しくワイルドに見えるのだけれど、瞬時に他の楽器の主張の見事な受け皿をつくっていく、というもの凄く繊細なもの。名シェフは素材の主張を自在に引き出して、その味をマックスに持って行くようなことをするけど、そういうタイプ。まあ、SMで言うたら、どんな攻めにも五倍の官能でお返しする谷ナオミっつーかね。それでいて、演奏自体のエネルギーは莫大なんで、そのギャップがまた色っぽいのよ。まあ、近藤勇よりも土方、ルパンよりも次元大介という嗜好ともいえます。
 そのほかにも、今回は菊地さん、ピアノの坪口さんのリフに前者にレゲエのドン・ドラモンド風、後者にニューオリンズ系のオフビートなフレーズが出てきたりして、おもしろかった。
ちなみに終演後、楽屋見舞いに行って、菊地さんに本田氏との合コンもしくは汗ふき係りを頼んだら、激笑いされてしまいました。まあ、それは潔く諦めるとして、差し入れのカステラの半分は本田さんに差し上げてくだされ。
ドラムは体力使うからねー。
あっ、詳しくは以下に飛んでちょーだい。
視聴も出来ますよ。
http://www.ewe.co.jp/duborbits/top.html
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2008年7月17日木曜日

上野千鶴子バースデーに美人寿司登場の巻



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←上野千鶴子さん
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美人寿司 feat野宮真貴  新手のABBAですな。














さる7月12日、上野千鶴子さんの還暦のバースデーパーティーに美人寿司が呼ばれて、久々に寿司、握ってきました。
 日本のフェミニズム界を代表し、「スカートの下の劇場」などの著作は、心ある文化系女子の本棚には数冊入っているという斯界の大物と私との関係はブログのバックナンバー「カンテサンスの巻」を読んで下され。上野さんのことを知らない人は松岡清剛のブログ書評が的確なので貼っておきますね。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0875.html
 いやー、久々の美人寿司です。
 築地場内には夏のネタが並んで壮観の一言。トリガイの生やカンパチ、白ツブ貝、天然の稚鮎、ハモなどオモロイ寿司ネタが目白押しで、衝動買いしまくってしまいました。このワクワク感、何かに似ているなと思ったのですが、アウトレットショップだわね。IKEAともいえる。安い! オモロイ! 使えるかも! っていうんで、後先考えずにバカ買いして、あとで後悔という図式。
 いや、後悔って言うのはですね。トリガイを下処理して最高の状態にしたものを冷蔵庫に忘れ、ハモなんぞそこに行き着くまでに会がお開きになってしまい、状態のいいホタテも結局、手つかずという大ポカのことです。
 マグロには出費をおしまない美人寿司ですが、この時のマグロは不漁のためミドルクラス。ちょい霜降りにしてヅケにしましたが、味はよかったけれど見た目があんまりよくなかった。ヅケ特有のつやつやとした漆みたいなルックスでお誕生日を象徴したかったのに残念です。
 さて、ベルリンはコムデギャルソン、ゲリラショップに引き続き、野宮真貴さん助っ人登場。会のゲストでお誘いしたんだけど、本人が「握る」っていうんだからしょうがない(笑)。おそろいの小田章の夏キモノ「金子國義版・くちびるから散弾銃」(湯山命名)で付け台に立ちました。この時の彼女のヘアは、なんとゆかたにベレー帽。そこにくちびる型ブローチを着けてなおかつ、帯飾りにリップスティックのチャームを付けて、というさすがのファッションリーダーぶりです。
 ゲストは上野さんのごく親しい友人、知人ということで、ほとんどが女性。男女共同参画社会の大御所、樋口恵子さんを初めてとした先輩方の発言は、やはり重みと凄みがある。私がちゃらちゃらと日本髪+振り袖で寿司を握ってられるのも、ある意味、先達が道をつくっていただいたがゆえと一生懸命、握らせていただきましたぜ。
 会の雰囲気は、意に反してとっても和やかで温かでした。これは上野さんのお人柄によるんでしょうね。年配のエライ人が集まる会、というのは、どうしても年功序列や野心や謙譲やら卑屈やらでオッサン臭くなるのですが、女性の場合はスーパースーパーフラット。まあ、全員が「私は私だからさ」の自信家とも言えるわけです。もうひとつ言えることは、そこに”不良性”が全くない事。フェミの土壌はなんといっても良心的高学歴文化系女子なわけで、多分80パーセントが学級委員、生徒会の常連ムード。
 というわけで、「私と野宮にあって、あの空間の女子たちになかったもの」は、不良性だと確信。上野さんは私を称して「極道系だね!」とおっしゃったことがあるのですが、野宮も私も、かつてアンダーグラウンドだったロックやバンドやストリートファッションというものに耽溺し、渦中にいた共通項(当時は少数派)があり、林真理子系ともまた違った「女子センス」があるんだと思います。そのあたりが野宮真貴+篠崎真紀+湯山玲子のゲスト対談集「エレガンス中毒ぎりぎりの女たち」に展開されているのでまだの方はぜひ(と宣伝)! 
 サプライズとして、ななんと、政治学者、姜 尚中氏がバラの花束を持って上野さんに贈呈。さすが東大のヨン様(C上野千鶴子)と言われるだけあって、こんなにご本人、カッコいいとは! 普通の美男というのではなく、ほとんど舞台人のようなムードがあるのにはびっくりしました。   
 
 酒井順子さんもいらしており、ご挨拶。拙書「クラブカルチャー!」を週刊文春のコラムで取り上げていただいたことがあったので、その数年越しの御礼とともに寿司を握らせていただきましたよ。
 
 終わってから、よせばいいのに、新丸ビルの丸の内ハウスで野宮さんと飲み。おそろいのゆかたを着た、熟女レズって感じバリバリでかなり迫力あったかも。
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