Powered by Blogger.
 
2013年3月13日水曜日

爆クラ <第20夜>「キャラ萌えクラシック」 3/15(金)ゲスト:高野麻衣 マンガ×クラシックの蜜月について



IMG_4768

クラシック音楽を爆音で聴く「爆クラ」。今回のゲストは先ほど「マンガと音楽の甘い関係」を上梓した高野舞衣さん。有名ドコロは『のだめカンタービレ』ですが、マンガ、特に少女マンガには実に良くクラシック音楽が出てきます。

その多くの読者はコマ割の絵、ストーリーとセリフとともにその音楽を想像し、また、実際にCDを買ったりして、深みにはまっていくのですが、今回はまさにその集大成。マンガのキャラとクラシック音楽がどこまで添い遂げるのか?! の刺激的な一夜です。

オスカルのヴァイオリン・ソナタを皮切りに、千秋(「のだめ」)、淳兄(「坂道のアポロン」)、ディミトリ(「黒薔薇アリス」)など、音楽を奏でるキャラクターたちのコマを、実際の音とともに検証。はたしてマンガに描きこまれた音のない「音楽」は、キャラクターたちにどんな影響をおよぼしていたのか!? 

また、音楽の力自体がモチーフとなった作品を世に出している手塚治虫、萩尾望都、大島弓子などの作品から、この場面に流れてているのはこの曲のはず!  という思い込み見立てまで。クラシック音楽とマンガに精通した高野舞衣さんとならできる、今までになかったクラシックの味わい方。爆クラならではの、カルチャークロッシングなテーマは、必見&必聴です。

↑サン=サーンス「死の舞踏」

↑エリック・サティー「ジュトゥヴ」


教養としてのクラシックではなく、ドミューンに親しんだクラブ耳を持つ人にこそ体験し てほしい、この爆音音浴。生演奏がデフォルトだけれど、録音とオーディオという現代の テクノが入ってこその、音と脳と身体とのセッションを堪能して下さい。

●プログラム(予定)
ワーグナー:ワルキューレの奇行
ドビュッシー:ペレアスとメリザンド
シューベルト:菩提樹
バッハ:平均律
フォーレ:「レクイエム」~ピエ・イエス
クープラン:神秘の障壁
ヴィヴァルディ:協奏曲
モーツァルト:協奏交響曲
ピアノ協奏曲第1番
サン=サーンス:死の舞踏
サティ:ジュ・トゥ・ヴ
******************************************************************************* 
湯山玲子presents爆クラ <第20夜>「キャラ萌えクラシック」
3月15日(金) 音楽実験室 新世界【六本木通り沿い。西麻布と六本木の間、ディスコa-lifeの並び】
door open 19:15 start 20:00

料金;¥3,000+ドリンクオーダー 
¥1,500+ドリンクオーダー(学割)
予約をぜひ! 
http://shinsekai9.jp/2013/03/15/bakukura20/
ゲスト:高野舞衣
●●プロフィール ゲスト
高野舞衣(たかのまい)
ライター
上智大学文学部史学科卒。『ぶらあぼ』編集部を経てフリー。得意分野は音楽とマンガと乙女文化。『CDジャーナル』『サイゾー』『宝塚イズム』等に執筆するほか、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭などカルチャーイベントに関わる。著作に『乙女のクラシック』(新人物往来社)、『マンガと音楽の甘い関係』(太田出版)。







Read more...
2013年3月5日火曜日

東京フィルハーモニー交響楽団の『グレの歌』復活公演そして飯野賢治さん



先月の2.23日に、東京フィルハーモニー交響楽団の『グレの歌』復活公演にオーチャードホールに行ってきました。

これ、無調音楽の創始者と言われるシェーンベルクの初期を代表し、合唱も入れた総勢300名近い演奏家が奏でる、三部からなる大作(デンマーク詩人、ヤコブセンの長編詩をもとに、大管弦楽、大合唱、独唱による一大オラトリオ、っていうヤツです)で、3.11の震災で中止になった公演が見事に復活したもの。

と、これが凄まじく素晴らしいモノだった、といいますか、まあ、この手の曲は絶対にライブで聴いた方がいい、という大好例。同じ作曲家の『浄夜』でもお馴染みの、半音ずつに移行し、ゆらゆらとたゆたうがごとくの弦の魅力は、この曲の場合、さすがの大人数なので(時々に四台のハープも入る)、非常に色濃く、その場の空気(大地、大海といった例えもできるがとにかく世界の土台)が立ち現れていく。そこに、時折、金管の世俗の音や木管の光線が差し込み、たとえて言うならば、聴衆は、まるで「グレの歌惑星」に不時着陸した地球人乗組員みたいな、大引力の世界観!!

私はポストクラブ時代のクラシックのあり方として、クラシックをクラブ仕様の爆音で聴く「爆クラ」をやっているのですが、そのコンセプトの一つに、クラブミュージックが強くもたらした、環境、建築的な音楽のセンス、というものがあるんですね。そこに今回の『グレの歌』はびったりとハマったのですよ。

なぜ、この世界観感覚が現れるかといえば、それが単に大人数大音量という数の問題何ぞではありません。(実際に生のオケ演奏では、大人数は音量ではなく塊の重さや深さとして出て来るものなのです)場に現出していたのは、生演奏ならではの個々の演奏が発している小さいノイズ(耳にきこえないものも含む)のこれだけの人数の集大成。それらが、無調整にやがて行き着く作曲家の豊かな和声の企てに相まって、ひとつの「音の生態系」をつくってしまっていることに私は大きく、全身全霊を揺さぶられましたよ!!

これは大作だけあって、着手から完成までに11年の時をまたいでいるのですが、そのことと、この物語のストーリー展開 もまたバッチリ合っているのも面白かった。つまり、第1部の王と恋人のラブラブ部分は、後期ロマン派の官能性ばっちりで、所々にラヴェル、マーラっぽい。そして、第三部になると、ロマン派のメロと構造の人間讃歌は、しばしば第一部のモチーフとして現れるものの、全体としてすっ飛び始めて、しいて言えば「愛の概念&抽象性」みたいなモノが、ドカンドドカン”音楽”としてやってくる。

ワグナーやベートーベン、マーラーと違った手触りなのは、その将来無調に繋がっていく、神経症的な不安やデカダンなんぞの現在の若者にも共通のセンスがあるからで、これ、もう、我が爆クラで「グレの歌、試聴会」やっちゃおうかしらん。これ、生で聴かないとまずいでしょ系で、再演署名運動やっちゃおうかしらん。非常にポストクラブ時代のクラシックを象徴する曲でもあるし、世界でもこの曲をプロが演奏するのは珍しいというので、もう、東フィル、看板演目にして、世界のクラシックファンに向けてのブランディングの種にしても良いですよ。

で、 この『グレの歌』を聴きながら私は同時に、この数日前に急逝された飯野賢治さんのことを思っていたのです。彼を「爆クラ」のゲストにお招きしたのは、約一ヶ月前の1月16日のこと。ゲームクリエイターとして、当時、傑出したアート感覚を出していた彼は、実は大のクラシックファン。

その会のテーマは奇しくも「クラシックの物語性について・・・・」。このコンサートには、その時には語りきれなかった要素が詰まりすぎていて、ちょっとこみ上げるモノがあったな・・・。飯野さんに関しては次回のメルマガで書きます。


Read more...
2013年2月9日土曜日

『快楽上等! 3.11以降を生きる』の最終トークイベント2.12池袋コミカレ開催


上野千鶴子さんとの対談『快楽上等! 3.11以降を生きる』の最終トークイベントが来週火曜日12日に、西武池袋本店別館9階池袋コミュニティ・カレッジで行われます。もちろん、ユーストもしませんので、実名バンバンの本以上の刺激トークになる所存。是非、お運び下され〜。出版後のあれこれをネタに切りまくっていきます。俎上に上がると思われるネタ。壇密などなど。
Read more...
2013年1月3日木曜日

爆クラ 第19夜は1.16(水)ゲストはゲームクリエイターの飯野賢治さん「 クラシックとその物語性について・・・・」



Romo-Villa_Borghese02_Robert-Henry-Cheney

クラシック音楽をクラブの爆音で聴く「爆クラ」。2013年の最初のゲストは、ゲームクリエイターの飯野賢治さん。

90年代半ばのゲーム業界で、ハイクオリティーな映像と映画を意識した構成が話題となりたヒット作『Dの食卓』をはじめとして、音だけでプレイする『リアルサウンド~風のリグレット』など、世界のゲーム業界を激震させてきた飯野さんは、実は、少年時代にブラバンで金管楽器をてにしたときからの大のクラシックファン。ゲームに映画や音楽、そして哲学的概念も取り入れて独特の表現を作ってきた彼とともに体験する今回の爆クラは、クラシック音楽に込められた「物語性」を追究していきます。

クラシック音楽には、定番の構成手法があります。たとえば、ソナタ形式。最初に序奏があって、その後に最初のテーマメロが出てきて、展開して、もう一回テーマメロが再現されて、エンディングを迎えるといったような構成は、小説や物語の世界でよく言われるところの、起承転結にかたちが似てもいます。
「人は何に感動するのか?!」という問いに関しては、いろんな分析がありますが、神話として残されているものの共通点などを考えると、「人が見たり聞いたりするときに必ず納得する」展開というものが確実にあるのだろうと思います。ゲームクリエイターとして、その奥義を扱った飯野さんによる、「物語性から見たクラシック」というお題。2013年の初頭から、これ一冊、本になりそうな高密度の一夜になりそうな予感ですよ!

教養としてのクラシックではなく、ドミューンに親しんだクラブ耳を持つ人にこそ体験し てほしい、この爆音音浴。生演奏がデフォルトだけれど、録音とオーディオという現代の テクノが入ってこその、音と脳と身体とのセッションを堪能して下さい。

●プログラム(予定)
ベートーヴェン、第九
チャイコフスキー、4番
レスピーギ、ローマの祭り
ベルリオーズ、幻想交響曲
レスピーギ、ローマの松
 *************************************************************************** 
湯山玲子presents
爆クラ <第19夜>「 クラシックとその物語性について・・・・」
1月16日(水) 音楽実験室 新世界【六本木通り沿い。西麻布と六本木の間、ディスコa-lifeの並び】
door open 19:15 start 20:00

 料金;¥3,000+ドリンクオーダー 
¥1,500+ドリンクオーダー(学割)
予約をぜひ! 
ゲスト: 飯野賢治(いいの けんじ)
ゲームクリエイター、ミュージシャン

1970年生まれ。小学校5,6年の時に作ったゲームがコンテストで入賞するなど、早くからゲームクリエイターとしての才能を発揮。95年に発表した「Dの食卓」が全世界で100万本のセールスを記録し、「マルチメディアグランプリ95通産大臣賞」を受賞。97年には画面がなく音だけでプレイするゲーム「リアルサウンド 風のリグレット」を発表して話題となる。2009年には、Wii用アクションゲーム「きみとぼくと立体。」の企画とディレクションを手がけている。福島第一原発事故後に、ブログで発表したテキストが話題となり出版されるに至った「息子へ。」(幻冬舎)など発言者としても注目を集めている。

Read more...
2012年12月10日月曜日

爆クラ第18夜「はじめてのクラシック 大谷能生洗脳篇」12.13(木)。


 

今回は年末総決算ということで、原点回帰。ここで改めてクラシック音楽入門篇をやってみたいと思います。


ゲストに、『貧しい音楽』や、菊地成孔との共著、共演、相対性理論等のアルバムや、演劇やコンテンポラリー・ダンスとのセッションでも名高い、批評家、音楽家の大谷能生さん。

自称「クラシック音痴」の彼をいかに宗旨替えできるか?!

一言で”音楽好き”といいますが、その実情はさまざま。歌詞とメロディーの妙に感動するという人もいれぱ(日本人に多い)、レゲエ以外はどうも物足りないという人もいる。 とはいえ、音楽好きのみなさんは、たいがいジャンル越えをして自由に音楽をセレクトしているのですが、クラシックになるとちょっと、別格埒外と考える人も多いのです。

ジャズやポップス一般に精通し、共著でマイルスの研究本もある大谷さんは、ご自身の言によると「クラシック音痴」。 「実は基本的にクラシック(特に交響曲)は苦手。コンサートもちゃんと行ったことない。 現代曲で好きなものは沢山あるけど、基本的に珍奇で高貴な発明品を見てるような感覚で聞いている」というタイプ。

爆クラも18回目、車の免許が取れる年頃になったので、ここはひとつ今までのレパートリーそのほかから、ジャズ耳、クラブ耳、文学脳、エトセトラに波長が合うはず、または、その逆でこれだからダメなんでしょ的なの曲たちを大谷さんに聴かせて、はたしてどんなことになるのか?

また、それによって、クラシック音楽がなぜ、リスナーを限定してしまうのか?   大谷さんをはじめとして、世間一般の”音楽好き”から距離ができてしまうのか? というそもそもの理由についても、考えていきたいと思っています。
選曲は当日のお楽しみですが、
絶対にプレイするシロモノとしましては

ラヴェル「ラ・ヴァルス」

教養としてのクラシックではなく、ドミューンに親しんだクラブ耳を持つ人にこそ体験してほしい、この爆音音浴。生演奏がデフォルトだけれど、録音とオーディオという現代のテクノが入ってこその、音と脳と身体とのセッションを堪能して下さい。

12月13日(木)
音楽実験室 新世界

開場:19:15、開演:20:00

料金:¥3,000+ドリンク代
学割/¥1,500+ドリンク代料金(学生証を受付でご提示ください)
※ぜひ新世界にご予約を!
http://shinsekai9.jp/ticket/

106-0031 東京都港区西麻布1-8-4 三保谷硝子B1
Tel:03-5772-6767 Fax:03-5772-6797
info@shinsekai9.jp
http://shinsekai9.jp/



●●プロフィール
ゲスト 大谷能生(おおたによしお) 1972年生まれ。批評家、音楽家。 96年~02年まで音楽批評誌「Espresso」を編集・執筆。以降も、菊地成孔との共著『憂鬱と官能を教えた学校』(河出書房新社刊)や、単著の『貧しい音楽』(月曜社)、『散文世界の散漫な散策 二〇世紀の批評を読む』(メディア総合研究所)を上梓するなど、積極的に執筆活動を行う。その傍ら、音楽家としても精力的に活動し、sim、masなど多くのグループに参加。ソロ・アルバム『「河岸忘日抄」より』(原作:堀江敏幸)、『舞台のための音楽2』をHEADZから、『Jazz Abstractions』 をBlackSmokerからリリース。 その他、相対性理論との『乱暴と待機』、演劇やコンテンポラリー・ダンスの舞台などを含め、さまざまなセッションで演奏を行っている。 http://www.ootany.com/
Read more...
2012年11月21日水曜日

イェリネク3部作、「レヒニッツ」「光のない。」「光のないⅡ」「ゲイ・ロメオ」について



仕事に取りかかる前に、フェスティバル東京の他の演目総括をざっとやってみる。話題のノーベル賞作家、イェリネクElfriede Jelinek三部作は、もうダントツで新橋の各スポットを彼女の朗読が入るFMラジオの音声を聞きながらストロールする企ての「光のないⅡ~エピローグ? PortB」Kein Licht2/Port B。この街へ出よう系は、ヤン・フートがアート界で先鞭をつけ、飴屋法水なども行ったが、当て所が正しいととてつもない強度が生まれる切り札のひとつ。
 まあ、それだけわかっていても、今回、イエリネクElfriede Jelinekのあの跳躍が多く、主格が転倒し、脳のシナプスに去来する言葉を自動書記のように書いた難解なテキスト(震災と原発事故に触発された作品)を読むには、最高の演出。最初の指定場所はなんと、東電本社をはさんだビル谷間の小公園。そのベンチから午後の光に輝く本社と青空、スマホをいじりながら通り過ぎる若いサラリーマン、そして、自分の耳に届くテキストの三位一体によって、のっけから得も言われぬ情動に突き動かされてしまう。

原発事故を起こしたシステム自体の本拠地=サラリーマンワールドである新橋で選ばれたいくつかのビルの空室は、すでに昭和の香りを残しつつもはやノーフューチャー。そこに佇むだけで、体感として、「私たちが経済の繁栄と共に選んできたものの本質」がぐいぐい押し寄せて来るのだ。そうなると、イェリネクElfriede Jelinekの言葉は「自分の中に埋没しているたくさんの想いを引き出すトリガー」となり、その回路が回り出したとたんに、世界はまさに違う顔を見せてくる。

配られたポストカード地図の裏には、被災事故地での報道写真が印刷されており、そのシーンが新橋のいろいろな場所で再現されているという構造にもなっている。それは私たちが事故に対して情報のよすがにしていたそういった「事実を伝える写真や映像」は本当に事実を伝えているのか? ということなのだろうが、この部分は現場ではどうでもいく、挿話的に思えた。というか、場所の地霊とテキストと観客との一本勝負ですよ、これって。

 とはいえ、新橋という街は歩いてみると面白いねぇ。不謹慎にも、良さそうな寿司屋料理屋を見つけ地図にメモする私。こればっかりは、止められないんだよねぇ(笑)。

 第二次世界大戦末期、対独協力者だったオーストリアの伯爵夫人邸で、バーティーの余興として大量のユダヤ人虐殺があったという実話を元に描かれた作品をヨッシ・ヴィーラーの演出とドイツの役者で演じた「レヒニッツ」Rechnitz(Der Wurgeengel)は、字幕翻訳が「普通そういういい方を人はしないだろう」という硬いもので、ちっとも言葉を追えない。

と思いきや、バンフのコメントで翻訳者が「翻訳を解りやすくするとどんどん恣意が入り、違うものになってしまう」といったような危惧を述べた上の一種、批評的な方法だと知った。うーん、わかるけど、この舞台の場合はイェリネクの言葉は、記号のような了解のみでこちらとしてはよかった。役者がその言葉の意味を発する表情をこちらとしては捕まえたかった。

今回はイェリネクElfriede Jelinekありきでの話なので、先の報道写真の件と同様、演出側はそこにもうひとつ批評性という名のクリエイションを足したんでしょうねぇ。どちらにしても、目で追う字幕はキツく、本当はヘッドホン同時通訳がほしかったですよ。




あともうひとつ、そもそもこの芝居を日本でやることの今日的な意味は、もう、戦争犯罪ですよ。オーストリアは戦後、日本と同じように、戦争責任をあやふやに免れた国であり、ご存じ今、日本は竹島問題等でそのことの決着を迫られているからだ。これ、ドイツの俳優がそのユダヤ人虐殺の悪玉を堂々と演じているところに、彼の国の戦後処理の徹底さかげんが伺えると同時に、パンフにこのあたりの言及がひとつも無いのは、ちょっと面倒を避けたかな、という印象。

(地点)の代表である三浦基演出の「光のない。」Kein Lichtは、もし、今回の全体テーマが批評ということだったならば、最初に繰り広げられる、「私」「あなた」という役者たちによる言葉遊びのような長い呼びかけの導入から恐れ入った。というのは、イェリネクElfriede Jelinekテキストで繰り返される、この私という主格とあなたという存在は、いつも何を差しているのかが不明瞭だからだ。

いや、その前に先ほどの翻訳という意味で言えば、日本語での私とドイツ語のich、あなたとSieは感覚が違うし、そもそも日本語ではあまり主格を立たせない言語でもある。その翻訳問題を最初のシークエンスで露払いするセンスは素晴らしい。まあ、あと役者ね。あの長台詞と集中力はいったいどのようなメソッドによって可能なのかしらん。そして、もの凄い美術とライティング。本当に今、演劇回りに才能は集結していますね。

シンガポールのダニエル・コックDaniel Cockの「ゲイ・ロメオ」は、愛らしい舞台。ゲイである本人の日常を綴った小さい小冊子が配られ(これがまた雑貨っぽくてカワイイ)、そのテキストを指示の通り読みながら、舞台ではインタラクティブに映像やモノが展示され、ダニエルが観客に語りかけ、最後にデートした男性たちへのプレゼントとしてポールダンスを披露する、というもの。

ここに色濃くあるのは、個人的な「してもらって嬉しい。してあげたい」という根源的なコミュニケーションの熱量と信頼、そして快楽。筋が通った美しいバレエ。こういう信頼感と明るさは、ゲイのみなさん特有なもので、それはエンターテイメント商業演劇の通奏低音たるところ。ご存じの通り、それは批評の標的でもあるので、こういうタイプのパフォーマンスは、ゲイ、というニッチにしか花開かないのだな、と痛感。「ビッチの触り方」の著者としては、こういう表現をヘテロの女や男がやった場合に、どう変容するのか? を見てみたいものです。
 http://festival-tokyo.jp/





Read more...
2012年11月19日月曜日

2012年11 月19日 (月)


ボツドール「夢の城」の再演。いやー、演劇でこんなにカッコいい表現が可能なのかと、シビれた。このセンスと腕力は、ロックによく立ち現れるが、演技というこっぱずかしいDNAがある演劇では非常に難しい。コレを何で初演時に観なかったのかという大後悔に駆られた、時代と表現が切り結んだ最大級の傑作!!

ガングロ、センターガイ、オレオレヤンキーなど、最低な若者男女が共同生活する汚部屋での一昼夜の"様態"を現した無言劇なのだが、その設定自体はそこから読み取れるものがわりと簡単に想像できてしまう紋切り型。たとえば、日本お得意の閉塞社会も描けるだろうし、そこから、オウム真理教にも繋がる共同体の芽を見る、とかね。

しかし、この舞台はその"批評に対して安定的な設定"を超えて、観手に身体的とも言える想像力を喚起してくる。起きて寝て、排泄して、食べて、後はセックスセックス、そして、ちょっと働き、四六時中続くテレビゲームにマンガ。という行為が幾度となくリフレインされるのだが、それが演劇的な誇張ではなく、ひょっとすると、こたつにへばりつくだらだらした正月のような、我々の身体感覚の延長線上にその、怠惰で面倒くさがりやで、生きている喜びなど全くない荒廃した生活があることが、身につまされていくのだ。批評の多くはこれを世代論として安直に片付けるけれど、およそ、日本人全世代の内なる地獄ですよ。面白いのが、あの汚部屋動物生活がユートビアにも見えてきてしまうところ。まあ、3.11の日本がそういうことなのかもな、と。

こいつらの生活から、乱交セックスを抜いたら、このおぞましさは、日本の一般家庭じゃないのか、という山本直樹のマンガにもある視線の"一般化"が、非常にスムーズに行われているところは、素晴らしいの一言。演出家の三浦大輔さんはは非常に力量がありますね。ベルリン公演が大喝采だったというのもよくわかる。ドキュメンタリーの手法云々と評されているらしいが、私はウディ・アレンと似たものを感じた。どうしたら、観客は自然とこのツボに入ってくるか、ということを、非常に試行錯誤した上での技術と演出。

ラスト近くに女が意外にも布団の中でひとりむせび泣く、という問題シーンが出てくる。人間らしい感情が、唯一、表現された場面だが、彼女の役柄が唯一食事を作ったり、財布に大金を持っていたりする、唯一社会性のある太い存在だっただけに、「やっぱり女、世情に絡め取られるな」と思った瞬間、それを聞いて起きてしまった男ふたりが、スケートの滑りマネをするオチが圧巻。重くて深刻なことが大嫌いで遊戯性に逃げる男。これだけで、一大テーマのような男女の本質論がラストの方に挿話的に立ち上がり、それまでの本篇と同様の強度がある、という構成も、ラスト近くに謎の不協和音を残すマルティノンの交響曲(さっきたまたま、聴いていた)のごとくに超カッコよかった!!

Read more...
 
湯山玲子公式サイト © 2011 DheTemplate.com & Main Blogger . Supported by Makeityourring Diamond Engagement Rings