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2017年7月31日月曜日

2017年7月31日

ザルツブルグ音楽祭のラス日公演は、コンサート形式で行う、モンテヴェルディ作のオペラ・セリアの名作『ポッペアの戴冠』。そう、古楽器を使った小オーケストラによる、バロック・オペラというヤツです。

指揮はイギリス人ながらイタリアに惹かれ(アングロサクソンとゲルマンは常にラテンに憧れるの図)、モンテベルディにハマったこの道の達人、ジョン・エリオット・ガーディナー。そして、バックを固めるのは、イングリッシュ・バロック・ソリスツとモンテヴェルディ合唱団という布陣。

1日目のモーツァルトの『皇帝ティートの慈悲』と同じくオペラ・セリアなので、男性役はアルトの女性、と思いきや、ここはクラシック声楽の注目ジャンルになって久しい、カウンターテナーの嵐。特に皇帝ネロを演じた、韓国人のカンミン・ジャスティン・キムにはびっくり。声質としては、ネロにポッペアを寝取られるオットのMichal Czerniawski(読み方が不明)の方がカウンター特有のデカダンス美があって好きなのですが、カンミンのそれは、パワーとテク、高音、低音の響かせ方が圧倒的。

いやー、日本のポップス界では、韓国人の歌の上手さはつとに有名ですが、それに通じる引きの強さが彼にはありましたね。タイトルロールとしては、舞台を制する度胸も抜群。

テレビ朝日の『題名のない音楽会』でご一緒した、鈴木優人さんのバッハコレギウムジャパンでも活躍するハナ・ブラジコヴァは、バロック声楽界でつとに有名な人ですが、悪い女の代表、ポッペアをその清元のような美声でいけしゃあしゃあと表現するその様子がナイス。

オットの愛人の侍女、ドゥルジッラ役のソプラノ、アンナ・デニス。この人は芝居っけがある人で、そういえば、シェークスピアとモンテベルディは同時代の人間。しかし、この人、存在感が舞台での高畑淳子さんにとっても似ているんだよね。

そういえば、今回体験したコンサート、ウィーンフィルを除いては全てが古楽器が用いられていました。ラロックダンデロンビアノフェスでも、チェンパロが堂々、プログラムに食い込んでいたし、バロックの響きは、実は現代人の耳に非常にフィットするのかも。そう、エンヤとかペンタングル、ポール・マッカートニの一部とか、ケルティックポップスとも通じる世界が古楽にはあるのです。

 

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2017年7月30日日曜日

2017年7月30日2

フランクフルト空港なう。原稿がすすむのは、フライトという締め切りがあるからなのじや。

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2017年7月30日1

ザルツブルグ2日目、またも凄まじい演奏を体験してしまいました。ザルツで一番本気を出すと言われているウィーンフィルが、マエストロ、ベルナルド・ハイティング指揮でお届けする『マーラー;交響曲第9番ニ長調』

目撃したことは、「精神で振る指揮」ということ。これ、クラシック音楽界の最大の謎のひとつ「指揮種の能力」に関する問題で、先日、ぶったまげたロジェストベンスキー×読響に続き、最晩年にさしかかった指揮者がつくり出す音楽の「レベルが違う出来」をまざまざと体験。

もともと、マラ9は大好物の曲ですが、大好物の1楽章のあの超美メロのワンコーラス目にすでに不思議な含みと抑制がかかっている。(そう、このマラ9このメロと展開に任せてのびのび派手にやってもソレはまたよし、の曲なのだ)その「気配」は、未完成とも言われている第4楽章の終わり方のとてつもない静謐に向かってマグマのように熱を隠し持ちながら、展開していくのですよ。

終楽章の最後の小節に、マーラー自身がersterbend(死に絶えるように)と書き込んでいるように、この曲のテーマは「死」。巨匠の人生ももはやそこに直面しているだけに、の渾身の表現だったとは容易に想像できます。

それだと、私が最も忌み嫌う「何も音楽聴かなくたって、ストーリーに反応してるだけじゃん」という話なのですが(ネットの音楽評はそんなんばっかり)、具体的にはウィーンフィルの凄さは指揮者の指示を指先一本でも見逃すまい、という奏者ひとりひとりの気迫の凄さ。これ、今回、2列目という奇跡の席だったゆえ手に取るように解ったのですが、もう、コンマス男性と二番手の女性、ヴィオラの第一奏者、フロント陣が指揮者と三位一体(いや四、五位かな)でまるで真剣勝負のような隙の無さで音楽をつくっている。

ほら、よく剣の達人同士がにらみ合いを続けるじゃないですか、そんなエネルギーの回し方を想像してしまった。

で、ウィーンフィル、なんなんだ、この音響のつくりかたは! いや、もちろん「揃って」いるんですよ。しかし、そのユニゾンが全員でひとつの音波波形をつくっているかのようなユナイト。

というと、「みんないっしょ」の軍隊式統率法、しわゆる「型」を思い起こすのですが、完全にそうじゃないんだよなあ。横並びの精神ではなく、指揮者が発信するひとつの理想の周波数をキャッチして、個人が反応しているという感じ。自分の個性はあるのですが、チューナーの性能が抜群に良い奏者が揃っているのだと思います。

いやー、本当に凄いものを観させてもらいました。というか、もう、こんなスゴレベルの演奏がきけるならば、毎年、ザルツに行くかも。ていうか、ウィーンフィルだけでなく、今後はタイミングと指揮者とを読んで、海外に行くしかねぇ。

私は爆クラ! などで、クラブ耳にも届くクラシックを提案しているのですが、はっきり言って、初心者はこのクラスを聞かせたら一発ですよ。クラシックがお好きではない、近田春夫さんに聴いてもらいたかった。ホント、このあたりクラシック音楽とクラブミュージックは似ている。一期一会感の到達度の高さがとんでもない。

先代の中村歌右衛門のあの日の「政岡」、古今亭志ん朝のあの日の「文七元結」、あの日のジュニア・ヴァスケス、あの日のバート・バカラックと並ぶ、あの日のウィーンフィルになりそう。

 



と、ウィーンフィルのハードコアがありつつ、真逆のブログラムがあるのが、ザルツブルグ音楽祭のいいところ。

三日目の昼はザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団によるモーツァルトマチネ。音楽学校併設の豪華ホールでまあ、ここの伝統ある座付きオケということでしょう。

と、これが昨晩の鬼気迫るウィーフィルのマーラーと違って、良い意味でレッツエンジョイ系の明朗快活仕様。というか、常任指揮者のイギリス人、アイヴォー・ボルトンとコンマスがつくり出すビートが、はっきり言ってスラップスティック!!

コンマス氏は終始ニコニコ顔で、遅れてきた観客の客いじりを表情でするし、ボルトンに至っては、ビオラの指示が手をブルブル震わせてもの凄い形相で振りかぶってくる。これ、またしても最前列二列目なので(ホント、この良席を押さえてくれた、モラス彩子さん感謝です)、手に取るようにわかるのです。

これ、なんか知った世界だぞ、と思いきや、すぐに頭をよぎったのが我がニッポンの漫才コンビ。でぶっちょでマイムに近いシアトリカルなww指揮でガンガン進むボルトンと(この人ご面相が英国映画に出てくる炭鉱ストの首謀者っぽいのよ)、それをわはははの笑みでノリを演者と客席に伝えるコンマス氏(モンティパイソンのエリック・アイドルか? )。

と、その空気感は、映画「アマデウス」でもおなじみのモーツァルト音楽の本質のひとつでもあり、モーツァルトが市民の中でポッブス化しているザルツブルグの面目躍如でしょうね。

演奏は、それでもナイス。特にスケルツォな早いテンポの曲のさわやかな疾走ぶりが素敵。ボルトン、古楽アプローチの人なので、ホルン、チェンバロ、トランペットなどの響きを生かすのが巧みだったっす。

休憩は中庭に出て、シャンバンなのだ。

 

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2017年7月28日金曜日

2017年7月28日

みなさま、誕生日メッセありがとうございました。もう、こうなったら長生きだけが楽しみですww。

ということで、本日、南フランス、ラック・ダンデロンを発って、ミュンヘン経由でザルツブルグに午後にロックオン。そう、今回の旅行のハイライト、ザルツブルグ音楽祭にて、クルレンティス指揮のモーツァルトのオペラ『皇帝ティートの慈悲』の初日だったのです。

キャンセル待ちでケットした席は、前から三列目の下手側という奇跡の良席。タクトを振るクルレンティスの表情がバッチリ解るんですよ。

いやー、結論を言いますと、本当にマジで凄い舞台でした。わたくし今までオペラで落涙することはなかったのですが、今回はティートの死の床でのセストとの掛け合いで目頭が熱くなった。

この曲、『魔笛』とともにモーツァルトの最後のオペラですが、当時すでに時代遅れになりつつあったオペラセリアの手法で描かれていて、皇帝の友人で長いアリアが見所のセストとアンニオがメゾソブラノつまり女性。

ということは舞台上の恋愛関係は女性同士。皇帝との確執も男男のマスキュランではなく男女で観客に届くところがミソ。もう、これだけでもの凄く現代的。しかも、奇をてらっているわけではなく、オベラセリアの伝統ですから、この楽曲をビックアップしたクルレンティス凄い。しかも、チェンバロ二台をはじめとして大量に古楽器を持ち込み、自分のバンド、いや違ったオケであるムジカエテルナで演奏するというシステムは、クルレンティス、勝ちに行ってるな!!  と思いましたぜ。

ちなみに、この曲のモーツァルト「魔笛」のごとくの美メロ無しで単調の地味系。しかし、今回の古楽器の大量使用によって、音響的に素晴らしいシロモノになっている。これ、拙書『クラブカルチャー』(毎日新聞出版局)からの引用だと、21世紀以降の音楽は音響と音圧の時代になる、ということの証左でもあるのです。逆を言えば、その角度でもイケるモーツァルトって「なんじゃあこりゃ」ですわ。

で、この舞台、設定が現代のテロ、欧米の移民問題をガンガン演出に生かしている点も凄い。そもそも、これ皇帝の暗殺未遂の話ですから、皇帝の友人セストがテロリストに変化してしまう様は、「人間は、ローマ時代と変わっていないのだ」という古典の基本を最大限、喚び生けているんですね。

そういう意味でこれ、見事にオペラの再生になっているのです。湯山の目頭を熱くさせたという「裏切りよりも慈悲が強い」という皇帝の独唱は、非寛容に傾く全世界に対しての芸術からの強いメッセージ。それが、本質的なところでこちらの胸に響いたわけで、これ、現代オベラとしては最大級の成果でしょう。

写真は珍道中をご一緒している、鬼久保さん、テレ朝の『題名のない音楽会』のプロデューサーを長きに渡って担当している凄い人。

 






でですね。今回のオペラ『皇帝ティートの慈悲』by指揮クルレンティスは、初日だったのです。それでもって、わたくしザルツブルグ音楽祭のオベラの初日、という特別日の観客のみなさんの凄さに本当に腰を抜かしました。

凄いのよ! ドレスアップが!!!  オベラ座のそれはウィーンやパリなんかで知っているのですが、そのロングドレス率の高さと来たら!!

50歳以上のおばさまたちの着こなしは本当に凄くて、日本の黒紋付き友禅を羽織り物コートでお召しになったり、全身がグレーのチュールレーススパンコールのドレスは、肌が所々透けて見えてセクシーダイナマイトだったり、ラルフ・ローレンならば号泣しただろう、白のデザインブラウスにロングタイトの出で立ちだったり、お腹いっぱい。

凄いのは女性よりも男性かも知れない。まー、タキシードとそのパリエーションの嵐なのですが、超カッコいい。たまにノーネクタイの人もいるのですが、そういう人は「実存主義やってました」系の知性のある着こなし。で、最大限着飾ったドレス女性とガッツリカップルタッグを組んでいるところもミソ。

ふだん日本でサラリーマン親父を見慣れている目には、このあまりの差に愕然としますよね。あら、カッコいい東洋人オヤジがいるな、と思ったら彼らは中国人。まあ、ユーラシア大陸の住民だし、ドレスアップ文化に冠しては上海でも感じることがあるのでさもありなん、というか。

ザルツの夏は寒いので、毛皮も登場。もー、こうなったら、本日のウィーンフィル、ドレス買いで挑む勢い(今は、の話ですが)。


 

 

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2017年7月25日火曜日

2017年7月25日

ラロック・ダンデロンLa Roque Damtheronピアノフェス2日目は、修道院遺跡でのチェンバロコンサートが皮切り。チェンパロ界の貴公子(と勝手に命名)、ジャン・ロンドー演奏の、バッハの『ゴールドベルグ変奏曲』は、たぶん、今回の白眉のひとつ。グールドでさんざん聞いているこの曲集、チェンパロのように強弱やペダルの響きがない楽器だと、フーガの時間軸と骨格がむき出しになり、もはや楽曲と言うよりも、石庭の銘石のごとくの「存在」のみ。

ラロック名物、自然の鳥の声との共演が、ジャンをして、アッシジの聖フランチェスコ(鳥と話すことができるという聖人)にしか見えないというトランス状態。それにしても、ゴールドベルグのあのアリアの旋律は、音楽史上の謎の一個。人間のどの感情にも寄り添わず、しかし、誰の中にも潜んでいる感覚、といった風な。これ、最初と最後に演奏されるのだが、これって、バッハが仕掛けたワープ航法なのか?! という時間感覚の転倒はチェンバロの音色だからこそ浮き彫りになってくるわけです。

田園公会堂では、ディミトリ・リス指揮の南オランダ交響楽団とベゾッド・アブデュライモブ のピアノで、ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番。あと、グリーグの「ペールギュント」、ラヴェルの「ラヴァルス」。ウズベキスタン生まれの27歳のベゾッド君、アンコールのリストの「ラ・カンパネラ」での超絶トリルの粒立ちは圧巻でしたが、ラフマ3ではフォルテ部分が単調で残念。これはリス氏の指揮も問題あったかも。特に「ラヴァルス」の「文章を分かち書きにする」がごとくの「流れの裁ち切り」は意味不明。ちなみに席は最前列ど真ん中。

またも深夜打ち上げディナーは。近くのホテルのレストラン。シンプルなチキンローストと当然ながらのロゼ。地鶏なのか、抜群に旨かったであります。

   
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2017年7月23日日曜日

2017年7月23日


南フランス、エクサンプロバンスに近い、ラロックダンデロンのピアノフェスティバル、International de pianoに来ています。

丸の内で毎年GWに開催されるクラシックのフェス、ラフォルデジュネの主宰、ルネ・マルタンのプロデュース仕事の原型とも言えるこのフェス。なんというか、田園地帯の環境の中で、ピアノを響かせたら、どうなのか? という、まさに漠クラ! の思想にも近いことをすでに37年間も行っているというので、ロックオン。

いやー、素晴らしかった。飛行機遅延でラストの30分だけしか聴けなかったのですが、エフゲニー・キーシンのサウダージとも(ブラジル音楽用語ね)、シレンシオとも(デビッド・リンチ用語ね)といえる神秘的なラフマニノフのプレリュードが、現地の蝉のみなさんの鳴き声と南仏の夜の薫る空気のトリオ演奏して、とんでもない境地が現れていました。

終わった後、マルタン氏とキーシン様、そして、地元の応援者のみなさん(ジャンピエールという名の人大すぎ)とで、La Bocageという地元の名レストランで打ち上げ。

南仏名物ロゼのはちみつ系の旨さはもとより、ここら辺では珍しい、カベルネソーヴィ二オンの赤が激旨い。

キーシン氏(写真)とお話ししたのですが、言葉の反応の仕方が独特。単語を噛みしめ頭で想像を巡らす時間が非常に長いのは、まるでビアノの音を探っていく姿勢に近いのか、と思った次第。

コレが毎晩つづくのさ!!



 




2日目の南仏ラロック。昼間は街のリサーチ。目の前のカフェでブランチ。もちろん、ロゼと赤ワイン。で、メインはフィレ肉のステーキ。付け合わせででた、ガルバンゾー豆のサラダが秀逸。トッピングされたオリーブが檄旨いのは南仏の証し。帰ったら、この味再現レシピするぞ〜。

殺人を犯すほど暴力的な太陽nyカミュの昼下がりの街歩きのハードコアに負けて、崩れ落ちるようにして入ったアイスクリーム屋。「Quille」という店なのだが、ここで食べるべきは、パフェの数々。(フランス語でクーペ)バカでかいてんこ盛りを、大のオトナのみなさんが注文。洋酒入りなので、けっこうハード。
今からホテルに帰ってシェスタ。夜の修道院でのバッハ、チェンバロによる「ゴールドベルグ」と、昨日行った田園内ホールでのラフマニノフビアノ協奏曲3と湯山のテーマの曲のひとつ、ラ・ヴァルスにそなえます。

 
 
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2017年7月20日木曜日

2017年7月20日

14時からNhkごごナマ。尾木ママとこどむテーマを取り上げます。

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