黛敏郎作曲のオペラ『金閣寺』by二期会in東京文化会館にこの週末行ってきました。黛敏郎といえば、昭和を代表する作曲家で、戦後、留学先のフランスで現代音楽にふれて、日常のノイズを録音したものを音源として作曲する、ミュージックコンクレート(まー、みなさんご存じのサンプリングですよ)日本にいち早く、それを紹介、作品化したエヴァンジェリスト。わたくしが主宰する爆クラのコンピアルバム(日本コロムビアから出てます)のテーマは、「クラブ耳に届くクラシック」だったのですが、そこに彼の大作「涅槃交響曲」を収録してもいます。
1968年にベルリンドイツオベラから委嘱されたこの作品は、もちろん、「世界の」三島由紀夫原作で何度も映画やドラマにもなっている『金閣寺』のオペラ化。実際の事件を下敷きにし、終戦の敗戦国の虚無の日常と観念的な美を描いた、三島のテーマが凝縮された作品ですが、もっと音楽的には音響系アヴァンギャルドかと思いきや、金閣寺のテーマたる<ミレファドーレ(ドーレのとこは♯)>が、物語の要請によって何度も出て来たり、進駐軍が登場してくるところに、ジャズ風の和声やリズムが入ってきたり(とはいえ、黛サウンドの枠内ですが)、ちゃんと物語に寄り添っている、また、合唱の中で「kunkakuji」と歌われる6音メロがテーマとして、各所に出て来るなどは、すなわち、ワーグナー等と同様のオベラの常套句書式。
でですね。全体の感想としては、申し訳ないが「野蛮」が足りなかった!! いや、主人公の内面を歌として歌わせなければならないオペラの枠の仲で、彼がどうして砲火に至ったのかという動機を、母親や友人とのエピソードを交えて説得力を持たせる、その台本構成は合格点だろうし、宮本亜門演出も、彼が持つ多彩な演出バターンでそれらを視覚化しているのですが、三島由紀夫作品と黛敏郎のコラボだからこそ生まれてしまう、劇薬×劇薬のパワーに対する感性が演出にも、出演者にも少なすぎる!!! どうしても三島作品は、紋切り型の美学方面に解釈されがちですが、黛と三島の、戦後当時の時代が持っていた野蛮とシンクロしたエネルギーをキャッチしていたのは、指揮者のマキシム・パスカルだけかな。
彼らだけではなく、大江健三郎、手塚治虫、大島渚、岡本太郎と、この時代のアーティストは皆、人間の本能と欲望が剥き出しになっていた時代の当事者達です。それに加えて、自分たちの文化が大否定され、グローバリズムに方向転換しなければ生き残れない現実や圧倒的かつ魅力的な西洋文化を横目に表現として回答を出していかなければならない摩擦熱もある。
黛の『金閣寺』をこの身体喪失気味のネット社会の今、上演するのだったら、その声明や欲望の「野蛮」をド中心に据えた声と演出でしょうね。とはいえ、今回の上演でも後半の合唱込みのザッツ黛なクライマックスにその一端が感じられましたよ。オケと指揮者も良かった。指揮者のマキシム・パスカルは、本人もこの曲好きだろうな、という現代音楽耳を持っている人で、黛敏郎ならではの「オケの莫大で豪奢な鳴り」に集中していたと思います。
でもって、じゃあどんな座組だと良いのかしらん、と夢想。ポール・ヴァンホーベンなんか、その野卑さも含め上手いんではないか。いや、もっと適任者がいた。この世界に感応できるタイプの演出家ならば、阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史。戦後のブロレタリア文学者、三好十郎戯曲『浮標』にも挑んでいるし、代表作『イヌの日』も含め、暗い暴力性が上手い人ですからね。
主人公でいったら、もう今をときめく、米津玄師でしょう。それでもって、有為子は平手友梨奈。ふたりともクラシック唱法を是非、習得していただければ、の話ですが。
↓ご参考までに。ちょっとだけど、「野蛮」があって良し!
https://www.youtube.com/watch?v=YDEShz1esAE&fbclid=IwAR00VKrrhROq4l8MR0LKvaAW0Rb670aoOyXZGqm5q0gN3oiPcF_xhO7a5CE
2019年2月24日日曜日



