Powered by Blogger.
 
2008年9月1日月曜日

さようなら、深浦加奈子。追悼。



 080817



















深浦加奈子さん(左)と私。80年代前半。一緒に飲んでるところ。

 
 深浦加奈子が亡くなって今日で一週間が経ちます。それでも毎日は過ぎていき、その事実を頭では理解しているのですが、心がそれに伴っていきません。今日も電車で栗色の長い髪を緩いポニーテールにしている女の子がいたのですが、その髪の毛の感じがフカウラにとっても似ていて、またまた、急に胸が締め付けられてしまいました。彼女の断片が思いがけないとこで目に入ってきて、そのたびにうろたえるということがこれからかなりの間、続くことでしょう。
 三十年以上前に、小学生の時に仲良くなってから、ずっと友達でいて、いろんな時代のいろんな季節にホントに彼女とは良く遊んだものです。
 小学校の時、放課後、ふたりでテレビを観ていて、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の有名な「裕次郎ひとりドラム大暴れ」のシーンを見て床を転げ回って爆笑し たことがあったっけ。今でこそひとつの様式として認知され、普通に鑑賞できるあのシーンですが、当時は「見ているこっちが赤面する突拍子もなさ」の集大成で、 お互いに目の玉を白黒させて、笑い転げました。そんなマニアな笑いのツボが一緒だというので、「コイツとは一生友達だ」と幼い私は密かに感動したものでした。そういえば、当時、アバンギャルド路線をひた走っていた赤塚不二夫の「天才バカボン」や山上たつひこの「ガキでか」にも一緒にハマることができる数少ない不思議な 女友達が深浦でした。彼女から借りっぱなしになっている筒井康隆がきっとまだ、実家にあると思います。
 第三エロチカを止めて、加藤芳一さんや元WAHAHA本舗の村松利史さんたちとお芝居をやり始めたとき、彼女が方向性として選んだのは「お笑い」だった のは、だから、必然でした。この時、私は一番彼女と良く会っていて、「舞台で人を笑わせる」ということの難しさをもの凄く具体的に聞 いた覚えがあります。このころの深浦加奈子は目の覚めるような美貌で、その美貌をものともせず、ナンセンスや毒のある哄笑に挑んでいる最中であり、それは最初から合格点というようなものではなく、それはそれはハー ドな修行のようでした。彼女は大変頭の良い、批評的な頭を持った人でしかも真面目で勉強家と来ている。天然のお笑いの才能があったり、ファニーフェイス だったり、のメリットがないところの、しかも女性のそれは試行錯誤の連続だったようです。
 しかし、そのことの成果は彼女がテレビや映画で名脇役として真に 才能を発揮した近年にはっきりと現れていました。 エキセントリックなお受験ママやナースや小姑のちょっとした表情やニュアンスにもれなく、人間の不条理や複雑な感情の綾を秒速かつ高圧で込めてくる。テ レビドラマの紋切り型のセリフや人間像が彼女の役柄だけ強度を持ちえたのはそんな過去の修養があったからこそなのです。彼女とはいろんな映画やお芝居の話をしましたが、ウディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」のダイア ン・ウィースト、「シリアル・ママ」のキャスリン・ターナーなど、彼女が語る女優論は、たんなる鑑賞者である自分には考えもつかない視点があり、「演者はこれほどいろんな 物事が見えるのか!」というぐらいに刺激的なものでした。役者出身の映画監督は、クリント・イーストウッドをはじめとして、最初から上手い人が多いのですが、彼女も生きていればこの時代、映画をとる機会があったかもしれません。いや、そういうことには慎重だったから、やっぱり女優をまっとうし、希木希林も色を失う素晴らしい怪優、名優になっていたかもしれません。
 人生初めての保護者のいない海外旅行、というのは、彼女も私も一緒に行ったインドが最初だと思います。私が大学四年、彼女が三年の時でした。
 デリーの空港から街に行く白タクスクーターと喧嘩して、道の途中で下ろされたり(よくある料金交渉の決裂ですが、最初にタンカを切って降りたのは彼女の 方)、彼女に求婚するインド人が少なくともふたりはいたり、ベナレスのボートで暮らしているフランス人ヒッピーにタブラを習ったり、多分、この先こ んなに面白い旅行はないだろうと言うぐらいのエピソード満載の珍道中でした。
 北西部にジャイプールというとても綺麗な砂漠の入り口の街があるのですが、そ こで彼女が言ったことが、そういえば、忘れられない。夕方に着いて、ラクダがゆっくりと行き交う夜の街をそぞろ歩いていたとき、急に「この光景、絶対に前 に見たことがある。私はこの場所を知っている!」と何度もいうのです。彼女の美貌はインド人似のエキゾチックなところがあるし、インドの彼の地は彼女の魂 に深い縁があるところかもしれませんね。月とぼんやりとした市街の明かりに浮かび上がるラクダの長い首と椰子の木の光景は、今こうやって目を閉じてもはっ きりと思い出すことができます。肉体を離れた魂は時間も場所にも囚われずに自由だといいますから、彼女はもう一度、あの時のジャイプールの熱帯夜の街に飛んでいったかもしれません。
 荒ぶる魂を持った女でもありました。
 山下達郎の葉山マリーナのコンサートに行った帰り、ずぶ濡れのままヒッチハイクでボンクラ大学生の車に乗っけてもらって帰ったり、横浜に彼女の車で遊びに行ったら、 レッカーされて、警察で深浦、迫真の演技で泣いて交渉したけれども鬼の神奈川県警は車を返してくれず、ふたりで今は無きバンドホテルに泊まって、バッキー 白片のハワイアンショウを観たり、彼女との思い出のほとんどは、一寸先は闇の冒険活劇のようでした。当時の若い女性というものは、今と違って将来の選択肢がほとんど無かったので、限りなくノーフューチャー。私たちはいつも苛立っていて、彼女はその中でもいつも突撃隊長のようなところがあって、ホ ントに格好良かった。飲み屋で私たちに説教を垂れる全共闘オヤジとよく、喧嘩しましたよね。
 しかし、芸能界メジャーの仕事が増えてからは、その攻撃性が包容力のようなものに変化していったような気がします。若い 役者さんたちの面倒をよく見ているようでした。そうなってから、私はふたりだけで遊びに行くことがなくなりました。そのことをお互い大人になったんだか ら、と思っていたけれど、今思えばもっと昔みたいにいろんなことを語り倒せばよかった。天下国家から、マンガに至るまで! 笑いは百薬の長だと思って、久々に私の笑いのツボにはまった「デトロイト・メタル・シティー」全巻を病院に送りました が、もう、読む気がおきない、って言ってたよね。
 一週間前の日曜日の5時頃、私は彼女と病院で最期のお別れをしました。いや、その時はお別れを言うつもりはなかったのですが、握りしめた手を ぎゅっと握り替えしてくれて、彼女は「ありがとう」と言った。私は私でものすごく言いたいことがあったのですが、その時は全く言葉が出ませんでした。イン ドのことやたくさんの思い出話でもいい、その夜、その言えなかった言葉を反芻して、明日こそ伝えよう、と思っていたのですが、翌日、なぜだか全身の気力が 抜けたようになってしまい、仕事を中断してソファ寝してしてしまい、病院には行きませんでした。そうして、その日の夜、彼女は静かに息を引き取ったので す。
 深浦加奈子さんの冥福を心からお祈りいたします。



Read more...
2008年8月9日土曜日

コシミハルのミュージックホール、"Le judas"が凄い


 

Koshi2









 












野宮真貴さん、コシミハルさん、そして私。バックステージにて。

 コシミハルさんの三年ぶりのミュージックホール、"Le judas"に行ってきました。
 三年前と現在の間に、代官山UNITにて、コシさんに頼み込んでこのミュージックホールのディフュージョン版を企画しましたが、その時におっしゃっていたイメージがついに形になったのです。
http://dwww-miharu.sblo.jp/
 バート・バカラックと同様、頭の中にコシミハルの部屋があって、いつ何時でもその音楽を引き出すことが出来る自他共に認めるファンの私ですが、それにしても今回のステージはホントに凄かった。
 ピアノとファゴット、そしてバレリーナ三人を従え、彼女がある時はアコーディオン、ピアノを奏で、ある時は踊るというスタイルは全く前回と同じ。クロソウフスキー、19世紀末から20世紀初頭のパリ、シュバルツバルト(黒い森)、鞭とリボン、コケットリーに聖性といった世界観も全く同じ。思えば、コシミハルという人はこれを数十年間一貫してやり続けていて、もはやそれは歌舞伎の型のごとし。でも、そのガチガチの記号の中で、躍動する音楽や肉体の自由度とフリーキーさは今回マックス級。
 コシミハルの世界はもうもう、私にとって極上の嗜好品とも言えるものなので、とにかく、そこにそれが舞台として在ってくれるだけで幸せ、というものなのですが、今回はそれを飛び越えて、彼女自身が放つ表現と存在のエネルギーに釘付けになったという感じ。ラッセル・マリファントが振り付けた「TWO」でのシルヴィ・ギエムは、二メートル四方のスペースでとてつもない高速身体運動を披露しますが、その時に感じた印象と取っても似ているのです。
 三年前の前回は野宮真貴リサイタルのプロデュースを始める前でした。あれから舞台制作を経験したわけですが、今回、コシミハルが行ったのは、プロデュース、アルバム作り、演出、振り付け、そして、パフォーマンスというほとんどすべて。これは本当に凄いことで、ロビーでお話しした細野晴臣さんもおっしゃっていたけれど、まさに「成熟したパワーのある大人の仕事」だと思います。中年は(怒らないでね、ミハルさん)こういうことが出来てしまうから、今、若者はその前に手も足も出なくなっているのかもしれませんわね。
そういえば、ピアノをやっていた人ならお馴染みの、「メトードローズ」という初心者の教則本があります。バイエルがドイツ系ならばこちらはフランス系で、私は断然、こっちの方がお気に入りだったんですね。「貴婦人の乗馬」だったり、「月の光」だったりの表題の横に、なんとも不思議なペン画が書いてあったのですが、小さいときの自分はそれが大好きで、練習よりもそっちを見入って妄想したりしていました。コシミハルさんもメトードローズ派であることはほぼ間違いが無い。赤木仁のイラストとの関係を鑑みるに、彼女こそがその”遊び”をピアノからは放逐された私に成り代わり続けてくれているような気がするのです。
 全篇フランス語の歌詞によるアルバムは、緻密で迷宮的なテクノ・オーケストレーションが展開。お気に入りは二曲目の「黒イチゴ」で、猫の声のような、少女の胸声のような音色が耳について離れないんですよね。ジングルのような「ロワイヤル・エプロン」の音階ループは、リロイ・アンダーソンの素晴らしいテクノ解釈ともいえます。
うーん、本当にこういう音楽をつくっている人は、世界で彼女以外にいない!
日本の最大輸出品目なのではないでしょうか。

Read more...
2008年7月20日日曜日

菊地成孔 ダブ・セクステッドの萌えポイントとは・・・・。



Main_01_























菊地成孔の勇姿。ADは宇川直宏。ゆえにクレーン。マトリックスリローデッドとも言えるが、鼠先輩ともいえる。
 菊地成孔 ダブ・セクステッド@DUO公演に行ってきました。 
 いやー、はっきり言って、今までのダブ・セクステッドの中で最高の出来! というか、さすがライブハウスなもんで、PA音響が抜群によかったんですね。ピアノもグランドだし、複雑にからみつき混在するすべての楽器の音のバトルの全貌がはっきりと立ち現れていました。特にダブ・ミキシング担当のパードン木村氏。彼の導入がこのジャズ集団のコンセプトでもあるのだけど、いつもは客席側での操作だったのに、今回はステージ上に陣地取り。結果、今までよりも数倍突っ込んだダブ介入が随所に見られ、特にドラムのスネア乱打にゲートエコーみたいな音色をかぶせて増幅した持っていきようは、サルゴジ新妻、カーラ・ブルーニーの問題歌詞「あなたは私のコカイン、アフガニスタンのヘロインよりも効く、コロンビアの白い粉よりも危険」級のハイライフ・アシッド感バリバリ。
「暴力衝動をコンピューターとオーダーメイドスーツで冷たく制御する、菊地成孔率いる6人組の2枚目にして、二枚目の6人組」っていうのが、売り文句なんですが、コレにはまいった! 上手いっ。音楽系のコピーで私が今まで一番衝撃を受けたのが、某海外メタルバンドの「妖艶だ? 官能だ? 冗談じゃない。バイオレンスよ」っていうのがありましたが、それを大きく上回る出来。これ、本人が考えたんだろうけど、このバンドの実態そのまんまざんす。
スーツの中で身もだえする男の肉体と精神というものは、ジャズのお家芸とも言えるエロス本質。テクニシャンによる攻守相まみえたインプロビゼーションは、どう考えたって、ナニの表徴。という見解でこの夜のプレイヤーを見ますと、私的にはドラムの本田珠也さんに超萌え!(私がドラムを学生時代かなり突っ込んでやっていたこともあって、この楽器にはちょっとうるさいのじゃ)彼のプレイは激しくワイルドに見えるのだけれど、瞬時に他の楽器の主張の見事な受け皿をつくっていく、というもの凄く繊細なもの。名シェフは素材の主張を自在に引き出して、その味をマックスに持って行くようなことをするけど、そういうタイプ。まあ、SMで言うたら、どんな攻めにも五倍の官能でお返しする谷ナオミっつーかね。それでいて、演奏自体のエネルギーは莫大なんで、そのギャップがまた色っぽいのよ。まあ、近藤勇よりも土方、ルパンよりも次元大介という嗜好ともいえます。
 そのほかにも、今回は菊地さん、ピアノの坪口さんのリフに前者にレゲエのドン・ドラモンド風、後者にニューオリンズ系のオフビートなフレーズが出てきたりして、おもしろかった。
ちなみに終演後、楽屋見舞いに行って、菊地さんに本田氏との合コンもしくは汗ふき係りを頼んだら、激笑いされてしまいました。まあ、それは潔く諦めるとして、差し入れのカステラの半分は本田さんに差し上げてくだされ。
ドラムは体力使うからねー。
あっ、詳しくは以下に飛んでちょーだい。
視聴も出来ますよ。
http://www.ewe.co.jp/duborbits/top.html
Read more...
2008年7月17日木曜日

上野千鶴子バースデーに美人寿司登場の巻



Photo_2















←上野千鶴子さん
2  
美人寿司 feat野宮真貴  新手のABBAですな。














さる7月12日、上野千鶴子さんの還暦のバースデーパーティーに美人寿司が呼ばれて、久々に寿司、握ってきました。
 日本のフェミニズム界を代表し、「スカートの下の劇場」などの著作は、心ある文化系女子の本棚には数冊入っているという斯界の大物と私との関係はブログのバックナンバー「カンテサンスの巻」を読んで下され。上野さんのことを知らない人は松岡清剛のブログ書評が的確なので貼っておきますね。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0875.html
 いやー、久々の美人寿司です。
 築地場内には夏のネタが並んで壮観の一言。トリガイの生やカンパチ、白ツブ貝、天然の稚鮎、ハモなどオモロイ寿司ネタが目白押しで、衝動買いしまくってしまいました。このワクワク感、何かに似ているなと思ったのですが、アウトレットショップだわね。IKEAともいえる。安い! オモロイ! 使えるかも! っていうんで、後先考えずにバカ買いして、あとで後悔という図式。
 いや、後悔って言うのはですね。トリガイを下処理して最高の状態にしたものを冷蔵庫に忘れ、ハモなんぞそこに行き着くまでに会がお開きになってしまい、状態のいいホタテも結局、手つかずという大ポカのことです。
 マグロには出費をおしまない美人寿司ですが、この時のマグロは不漁のためミドルクラス。ちょい霜降りにしてヅケにしましたが、味はよかったけれど見た目があんまりよくなかった。ヅケ特有のつやつやとした漆みたいなルックスでお誕生日を象徴したかったのに残念です。
 さて、ベルリンはコムデギャルソン、ゲリラショップに引き続き、野宮真貴さん助っ人登場。会のゲストでお誘いしたんだけど、本人が「握る」っていうんだからしょうがない(笑)。おそろいの小田章の夏キモノ「金子國義版・くちびるから散弾銃」(湯山命名)で付け台に立ちました。この時の彼女のヘアは、なんとゆかたにベレー帽。そこにくちびる型ブローチを着けてなおかつ、帯飾りにリップスティックのチャームを付けて、というさすがのファッションリーダーぶりです。
 ゲストは上野さんのごく親しい友人、知人ということで、ほとんどが女性。男女共同参画社会の大御所、樋口恵子さんを初めてとした先輩方の発言は、やはり重みと凄みがある。私がちゃらちゃらと日本髪+振り袖で寿司を握ってられるのも、ある意味、先達が道をつくっていただいたがゆえと一生懸命、握らせていただきましたぜ。
 会の雰囲気は、意に反してとっても和やかで温かでした。これは上野さんのお人柄によるんでしょうね。年配のエライ人が集まる会、というのは、どうしても年功序列や野心や謙譲やら卑屈やらでオッサン臭くなるのですが、女性の場合はスーパースーパーフラット。まあ、全員が「私は私だからさ」の自信家とも言えるわけです。もうひとつ言えることは、そこに”不良性”が全くない事。フェミの土壌はなんといっても良心的高学歴文化系女子なわけで、多分80パーセントが学級委員、生徒会の常連ムード。
 というわけで、「私と野宮にあって、あの空間の女子たちになかったもの」は、不良性だと確信。上野さんは私を称して「極道系だね!」とおっしゃったことがあるのですが、野宮も私も、かつてアンダーグラウンドだったロックやバンドやストリートファッションというものに耽溺し、渦中にいた共通項(当時は少数派)があり、林真理子系ともまた違った「女子センス」があるんだと思います。そのあたりが野宮真貴+篠崎真紀+湯山玲子のゲスト対談集「エレガンス中毒ぎりぎりの女たち」に展開されているのでまだの方はぜひ(と宣伝)! 
 サプライズとして、ななんと、政治学者、姜 尚中氏がバラの花束を持って上野さんに贈呈。さすが東大のヨン様(C上野千鶴子)と言われるだけあって、こんなにご本人、カッコいいとは! 普通の美男というのではなく、ほとんど舞台人のようなムードがあるのにはびっくりしました。   
 
 酒井順子さんもいらしており、ご挨拶。拙書「クラブカルチャー!」を週刊文春のコラムで取り上げていただいたことがあったので、その数年越しの御礼とともに寿司を握らせていただきましたよ。
 
 終わってから、よせばいいのに、新丸ビルの丸の内ハウスで野宮さんと飲み。おそろいのゆかたを着た、熟女レズって感じバリバリでかなり迫力あったかも。
Read more...
2008年7月14日月曜日

トークショーご報告。クレア編集長井上敬子さんに聞く「京都の真相」



Dsc_0047
Dsc_0060






































ちょうど一週間前の七夕の夜、トークショーをやりました。
 
 場所は丸の内カフェ、ゲストは月刊誌クレアの編集長、井上敬子さん。その週末、丸ビルで行われた七夕イベントの番外編ですね。題して「京都と東京 二都物語 〜編集者だけが知っている京都の真相」。
 
 京都特集は女性誌の定番ですが、実は井上さんは京都生まれの京女。クレアは井上さんが編集長になってからは、表題に「欲張り女」という思い切ったキャッチフレーズを掲げるようになっていまして、ぜひ、世界一欲張りな日本の女性誌の中であえてそれを掲げる雑誌編集長に京都の真相をいろいろと聞きたかったわけです。
 
 京都はこの数年ほど、着物メーカーの小田章さんとおつきあいさせていただいているご縁で、急に私の人生に色濃く登場した場所で、忘れもしない最初の京都はのっけから、祇園は廣島屋の奥座敷、こたつ部屋で舞妓とお酒、というたとえて言えば最初から、日本アルプス踏破のごとくの体験から始まりました。そういうわけで、寺も庭もあんまり知らず、「都をどり」とか「大覚寺の庭で披露される歌舞伎・勧進帳」、「波木井の都々逸」「島原は輪違屋の太夫遊び」みたいな異様にディープな京都の体験ばかり増えているというアンバランスさ。それでも、世界中のどの都市とも違う魅力を京都は持っていて、「ここ、日本じゃないでしょ!」とわけのわからんバラドックスに陥ったりもするのです。
 井上さんの言葉でいろいろと京都の真相はあきらかになったのですが、エピソード的にツボに入ったものをいくつかご紹介しましょう。
 
 ひとつは彼女の母校である同志社中、高における女子ヒエラルキーの存在。まあ、これ世界中どこのお嬢様校にも見られる女子間の階層で、アメリカではチアリーダー部やソロリティーという親睦クラブがその最上位で家柄もよく、美人という人々の集団です。私の母校の学習院では、スキー部やアイスホッケー部のマネージャー、また、ほとんど活動していない水上スキー部がそういう位置にあったのですが、さすが京都の同志社ともなると、それが「茶道部」っていうんだから凄い。(茶道部、学習院にもありましたが、ただの地味なクラブだったよなぁー)桐野夏生の「グロテスク」に慶応女子校と思われるお嬢さん校の女格差ヒエラルキーが余すところ描かれていますが、京都のそれはまた格別に上位。匹敵するのは、イギリス王室のポロ部(ホントか?)ぐらいかも。
 
 もう、ここだけで本一冊書けてしまいそうな大ネタですが、そのほかにも、井上証言で確証がとれた、谷崎を巡る京女&日活ロマンポルノエピソードでお馴染みの「京都の女は性的にアグレッシブである」という検証、そして、どこに行っても知り合いに会ってしまうがゆえの牽制の美学などあっというまの 90分でした。
 
 歳取ってから色気と凄みが出るパリ女と京女は、はっきり言って、全女性のロールモデル。といいながら、極めて直情的に子供っぽい私にとって、井上さんのはんなり優しいのにそこはかとなく腹黒い(誉め言葉ね!)感じはやはり京都の血を見る思いでした。
 
京女。
 
 井上さんも凄いけど、在住の方々に超強力な女性たちがいるので、ぜひ、このようなトークショーの機会を設けて皆様に紹介したいものです。
Read more...
2008年7月7日月曜日

『丸ビルで、舞妓あそび。』ご報告



Dsc_0030_2



















舞妓さんによる京舞


Dsc_0070









































マドモアゼル・ユリア嬢!


Dsc_0082_2


















野宮真貴さんアコースティックライブ。


Dsc_0164















寺本りえ子さんと野宮さん、冨沢ノボル君


 週末、7月4日(金)18:00~23:30> 丸ビル1F マルキューブ&丸の内カフェ イーズで行われた七夕イベントのご報告です。
 京都花町で最も由緒のある祇園甲部の舞妓さんが、「都をどり」を振り付けた三世・井上八千代から受け継がれるあでやかな京舞を披露し、舞妓さんたちによる「立礼(りゅうれい)……椅子に腰を掛けて手前をする、茶道スタイル」。野点傘と緋毛氈のしつらえの中でお茶を楽しむという趣向。
 カフェ イーズでは、東洋のバービードールこと野宮真貴さんのアコースティックライブに、旬の実力派女性、Eri、マドモアゼル・ユリア、寺本りえ子さんたちが華麗なDJプレイを繰り広げました。

 時間と人員の関係上、不詳湯山もDJに挑戦しました。そのために早朝からCDを選びまくったのですが、逆にこれにハマっちゃった私。マジでいいCDいっぱい持ってるわ。しかしですね、古い音源と今のクラブ音源とのブリッジがほとんど上手くいかず、ラウンジDJの限界をすでに感じてしまったですよ。くっすん。個人的には富田勲の「月の光」より、「アラベスク」を大スピーカーでかけられたのに満足でしたが。というか、今度、私、リスニング偏重のパーティー企画しようっと! これはすでにニューヨークのLOFTでデビッド・マンキューゾーがやったことですが、大スピーカーで聞くアンジェロ・バダラメンティーで即死したくはないかい? 皆の衆。
 Eriさんのミニマルから華やかに花開く安定感のあるDJ、ユリア嬢の実は音造りが細かく、ぴゅんぴゅん光線銃が飛ぶような刺激的なプレイを経て、野宮さんのアコースティックライブはさすがの大盛況で、「京都慕情」を本当に歌ってくれたのには感謝感激でした。トリはりえ子さんの最近、大物感が出ているパワープレイで大団円。
 ゆかた、着物を着てドレスアップして着ている方も多く、もの凄く東京的な夜ではありましたね。この間、目黒の飲み屋で意気投合した、芸大に留学しているドイツ人日本オタク軍団も喜んでたし。ドラアグ・クウィーンのジャスミン、デリーチェ、そして、ヴィヴィアン、来日中の敬愛するエロチカ・バンブーも女装ドレスアップでお越しいただき丸ビル史上大変に刺激的な夜になったのではないでしょうか。
 
 アフターパーティーは隣の新丸ビルの七階、丸の内ハウスに突入。野宮さん、中塚武くんのDJに飛び入り参加。屈指のメロディーメイカーであり、キプソーン時代から敬愛している中塚君と久々の再会でした。当時、あったときは少年っぽかったけど、立派に大人になっていて、ほぼ親戚のオバサン気分ではあります。モデルのHANAさんも合流して、みんなで、丸の内名物「来夢来人」に行き、カラオケ大会。昭和スナックの完全再現である「来夢来人」ですが、ここまで、徹底した営業をしているとはまーったく、思いませんでした。芸の細かさは、廊下に出ているビールケースにまで見て取れる。ここ、ホントにオモシロイよ! ガイジン接待にも使えるな。
 湯山といえば調子に乗って、十八番のレッドツェッペリンのブラッグドッグ熱唱。みなさん、即死。サザンのemanon熱唱。みなさん、悶絶。クレイジーケンバンドのタイガーアンドドラゴン熱唱。みなさん、昇天。音楽好きと一緒に行くカラオケはやっぱり、反応がよろしおすなー、と急に京都弁。

 そのあと、よせばいいのにアマランス移動して朝まで。
 ここの冷麺は世界一美味しい。酢の配合が絶妙なんだよなあ。


Read more...

最期の井上雄彦展に行ってきたぞ!



P1010559P1010565Image0901_2




























































ぼけぼけだけど、山岡鉄周の書。飛騨高山の陣屋所蔵。 個人的なことですが、井上雄彦は私の命の恩人なんですねぇ。 と、これは、雑誌クロワッサンの「病気自慢」にも書いたことがあるのですが、今を去ること十年以上前、ネフローゼ(尿をつくる機能が不全になり、オシッコがでなくなる国の指定の難病)で入院したとき、友人が差し入れてくれた「スラムダンク」全巻を徹夜で読みふけった朝に、ウソのようにオシッコがほとばしり出たんですよ。特効薬のステロイドを飲んでたった4日目。主治医は驚いていましたけど、あの消灯後、ベッドの中でステロイドでハイになった頭に、あのめくるめく物語は相当にヒットしてある意味人生至高のマンガ体験だったのですが、マジで本当に病気、治っちゃったのよ。
 お笑いビデオでガンを治したという患者の話や、物語療法という技術もありますが、それにかなり近いかも。まあ、偶然ともいえるわけですが、当時の私の年齢での罹患はほとんど完治しないというデーターと、明け方、山王戦の開幕とともに突如襲ってきた激しい尿意に対する驚きは自分の人生における最大級の奇跡だったということは事実。また、こういう、神話を図らずも読み手につくってしまうところが今に至る、作家のカリスマ性というものでしょう。
さて、最終日。友人である阿部ガリアーノの尽力にてチケットが手に入り、行ってきましたよ、「井上雄彦 最後のマンガ展」。入場制限があるため約二時間待ち。ガリ君、そのために椅子やマンガを大量に持ってきてくれており、さすが敏腕広告マン。子供みたいな20代の列に妙に爺と婆二人が小椅子に座ってマンガを読みふけるの図。上野の森の木陰は心地よく、アウトドアの中こんなに並ぶんだったら、シャンパン用意すりゃよかったよ!
 展示の概要は、武蔵の最期を肉筆で描いていくというもの。
 やはり、画力が凄いというのは本当で、肉筆ともなると、一筆で表情のラインを決めていることがはっきりわかる。筆先のラインと勢いはもう、それだけで物事を饒舌に語っています。一回、振り下ろしたら後戻りできないという宿命は剣も筆も同じゆえに多くの武人が書の達人なのですが(個人的には私、山岡鉄周の書が大好き)。作者は武蔵というテーマに引っ張られてどんどん、この”かたち”を独学で身につけていったわけです。この意味がかたちをつくり、かたちがまた意味を深くするという関係性は今、身体論で盛んに言われているところ。私もダラダラとヨガを二年ほど続けていますが、武将のポーズを決めると気持ちの方が劇的に変化するなどということは普通に存在します。
 線の躍動と造形の美しさはもう、直接に”色っぽさ”に結びつき、武蔵、小次郎、老境の武蔵、胤舜、吉岡清十郎、武蔵の父などはもう、極楽にホストクラブがあったらこういうメンツかというようないい男揃い。三島由紀夫も聖セバスチャンの殉教図に萌えましたが、死に臨む男っつーのはもはやDNAに組み込まれた萌えポイントですね。作者の画力はホントにいい男たちの体臭までも臭ってきそうな書き込みがあり、「男が男に惚れる」という言葉の精神論やきれい事ではない本質的なエロスをガンガン伝えてきます。そう、男はみんな男が好き。
 ラストの「武蔵、赤子に還って母の胸に抱かれるの図」としての救済は意見の分かれるところでしょう。ああっ、やっぱりこうなったかぁ~の予想通りの紋切り型と言ってしまえばそれまでですが、リリー・フランキーの「東京タワー」の大ヒットと同様、それが切実なマスの救済となっているならば、これは優れた一握りの作品しかなしえない偉業ですね。しかし、日本の母と男子の濃密な関係からどうしてもオミットされる多くの女子、娘(もちろん、私も含め)としては、やっぱり横目で見てしまうものがある。
 武蔵の足跡のあとをたどる後進の行列の中に、ひとり目の涼しい美少女がいました。彼女は女流剣士なのでしょうか、女だてらにこの切ったはったの世界に身を置き、高みに登ろうという剛の者。しかし、現在とはその喜びと厳しさに目覚めてしまった多くの職業人という女性剣士が大量発生している時代であり、その者たちの救済は? と考えると、母親の懐に入っていける人は希有。より厳しく、ノーフューチャーな結末があるようにしか思えません。
 私はこの物語をおつうではなく、剣士たちと同化して普通に読みました。仕事で一度でも返り血を浴びている人間にとって、武蔵と剣士たちの生き方はワクワクするど楽しい。 敬愛する作家の桐野夏生言うところの「男が至上なのではなく、「男」の持つ抽象的な美点が至上なのだとわかったのだ。<中略>別にそれを女が持っていたって、子供がもっていたっていい」(「天使に見捨てられた夜」)ということですね。
 逆に男の方が作品の主人公と同じ肉体をもっているからこそ、大変だろうなあ、と思ったりもした。こんな完璧に美しい男の物語に自分が参加できない、とあらかじめ諦観したその先には、この物語に耽溺し現実社会に傷つくことなく、実家のママのご飯をぬくぬくと食べながら部屋に引きこもる多くの男性の姿が見えてきそうです。
 そんな男たちに剣士と同じ輝きが与えられる社会的チャンスは何か?
 ちょっと、考えれば想像がつきますわねー。 
 こんな輝きを捨てて戦争をしない、ということがいかに理性と胆力がいるかを今ここで確認したい気持ちになりました。
Read more...
 
湯山玲子公式サイト © 2011 DheTemplate.com & Main Blogger . Supported by Makeityourring Diamond Engagement Rings