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2008年12月11日木曜日

菊地成孔 ダブセクステットとマンダリンオリエンタル「SENSE」と須永辰緒



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マンダリンオリエンタルホテル内の「SENSE」の逸品「子豚入り香港バーベキュー」




 先の週末、金曜日は一年ぶりの東急文化村での菊地成孔公演。
 一日目はダブ・セクステッド。私はこのバンド、結成から各ライブ欠かさず見ているのですが、そのたびに進化しています。特に前回から、パードン木村の躍進が凄い。このジャズバンドの同時代性は何と言っても、その名の通り「ライブ音を瞬時に、ミキシングエフェクトをかけてお届けする」特殊加工性、制御 &変容感覚というもので、楽器を演奏しないだけに多分、ひとりだけジャズの身体性を持ち得ていなかったパードン氏が、天恵のごとく役どころを認識したのが前回。そして、今回はさらにその領域を広げていて、たとえば、ウォッシュタイプのチーズが腐りかけにガーンと旨味が増す時期があるのですが、そんな発酵菌の親玉みたいな役割を果たしていましたね。ただし、そのダブ風味の中に菊地さんのサックスや類家君のミュート・トランペットが逆に”生一本”で味わいを立たせているところがイイ!要するにチーズのミルクの本来の味ね。その場合、ダブの発酵菌側には本多珠也の熱やベースの鈴木氏のかき回しやビアノの坪口氏の塩旨味などの強者たちが固めている、という具合。ドラッグ&アナザーワールド感覚は、建築からアート、音楽に至るまで現代の先端表現に欠かせないものですが、ということで、ダブ・セクステッドのそれは、ケミカルでなくて、発酵物である酒。それも各年度のヴィンテージを絶妙なブレンドで配置するシャンパンだねぇ。案外、酔いが深くて長引くのも似ている。
 アンコールの「Dub Sorcerer」はダンサブルでヒップなベストチューンですが、私、贔屓の珠也様のドラムの暴れっぷりが猛烈にカッコ良かった。暴れても暴れても、シルキーな優雅な感触が残るのがこの人の良いところですが、さすがにツェッペリンのジョン・ボーナム好きの面目躍如です。それで切に思ったんだが、ここにギターがあればな、と! こういうサウンドをこなせるのは、ジェフ・ベックですが、ジミヘンでもいいかも。ちょっと、パードン氏がそれっぽいディストーション音色を入れてきて、それが超ヤバかったから、ゆえの感想です。
 その数日前、私は当の菊地成孔氏とディナーをしておりました。
 腐りかけ手前の発酵チーズが出てくるフレンチではなく、中華料理。ミシュランで一つ星を取った、マンダリンオリエンタルホテル内の「SENSE」です。ここに来るのは二度目ですが、一度目の時の客層の「あまりにもオモシロイ、ニッポン富裕層のリアル・バリエーションぶり」にとにかくハマったのですが、ここ、メニューの組み立てが絶妙で、「ヒトが今、高級中華に求めるもの」が厳選されて入っている気がしたものです。
 菊地氏がハマっているのは、鳩のローストと前菜の香港バーベキューだということでしたが、これらは見事でしたねー。特に鳩のローストは鳩の血合いの部分の何とも言えない野性味が表の味付けと呼応してまるで、こういう「極楽の果実」が存在するがごとくの単純明快な美味。「バラの香りの上湯ゼリー載せ地鶏の冷製」はモダン中華の典型のような一皿で、コレは自宅でもトライできそうです。ゼリーとあんかけは家庭料理に導入するととたんにプロっぽくなるのだ。紹興酒は20年ものをぐいぐい二本も開けたら、あとで一本25000円と聞いてのけぞっていまいました。確かにウマいが、何か腑に落ちないのはそれが紹興酒、だからなのか・・・・。
 帰りは<ベロア>の須永辰緒さんのパーティーに野宮嬢と顔を出しまして、ジャズな日々はひとまず終わりを告げたのでした。
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問題の「ハトの丸揚げスパイス風味」
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自宅でもコレ使える「バラの香りの上湯ゼリーのせ地鶏の冷製」


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須永御大と。
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2008年12月2日火曜日

蜷川実花、マルチ・ギゼ、ミシュラン記者発表、fancy him、仮面舞踏会、三軒茶屋「オスカー」そして「テラ」



ふ~。11月のフォト日記ざます。各種行事からセレクトしました。
それにしても、よくちょこちょこと出かけてますな。
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10月31日

蜷川実花展

とにかく、プリントがキレイだったですね。スタイルを毅然と持ち続けることは、この表現多様化時代に置いて、いっそ、尊いし剛力。私もケイタマルヤマのプリントシャツ(実はパジャマの上)にて、会場に花を添えてみました。蜷川さんのドレスはプッチですかね。


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マルチ・ギゼと倉成英俊~デザイナーズ・ウィーク@クラスカ

敬愛するバルセロナのアーティスト、マルチ・ギゼ(写真左から二番目)が今年もデザイナーズ・ウィークにやってきました。そこにいわゆる丁稚奉公していた倉成君(右から二番目)とともに。今回の彼の作品は、照明器具をSMの縄師のロープ結びでつったもの。たとえ、縛る対象がそのへんのテキトーなランプでも、結び目に異様な情感がこもるのが、超カッコよかった。黒いユーモアもあるわな。倉成君の「自分の誕生日の日めくりを注文する」企ては、コンセプト勝ち。別役実の作品みたい。この人の作品は演劇的でもあります。


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11月4日

ハギエノ合同出版記念会@スーパーデラックス

榎本了壱さんと萩原朔美さんの著作の合同出版記念会は、ほとんど、寺山修司の天井桟敷関係者の集会となっておりました。もちろん、私は小学生からのテラヤマ少女。渋谷からバスに乗ると奇っ怪な天井桟敷のアトリエが見えて、子供心にワクワクしものでした。テラヤマワールドに欠かせない、憧れの女優、蘭妖子さんと記念撮影。とにかく、この方の声が凄いのよ。この時は詩を朗読なさったのだが、たとえば、レーモン・ルセールとか、一転して泉鏡花なんかをぜひ、この人の声で聞いてみたいのですが。


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11月6日

マルチ・ギゼと飲み会@神田「玄気」

マルチが明日帰っちゃうので、飲み会。去年は恵比寿の寿司「松栄」だったが、今回は変化球を出してみました。一軒家改造系の中ではダントツにお気に入りの「玄気」へ。いかんせん、二日前に「天井桟敷」だったもんですから、気分は青森のお納戸っぽいところで酒が飲みたかったわけです。女性はバートナーのインガ。マルチのコンセプチュアルサイドを受け持つスゴ腕。縛りテーマならば、みやげは緊縛SM系のAVかな、とは思ったのですが、そこまでの深掘りかどうかは不明たったので、アラーキーの写真集を献上。アチラでは高価らしく、すごーく喜んでくれました。しかし、ここの焼酎ラインナップは凄い。しかし、倉成君はソフトボールの上野投手に似てるよね。


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11月11日

今一緒に仕事をしているデザイナー集団レジーナの綱島君(左)と我が社の村松君。ななんと、この日ふたりは初対面なのに、アレキサンダー・リー・チャンの同じ緑の服を着て現れたんですよ。それどころか、もうひとりの松浦君と村松の写真家、兄が、けっこう仲の良い友達同士だということも判明。こりゃ、前世でなんか関係あるな。多分、全員アライグマの兄弟だったはずだ。


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11月18日

ミシュラン2009記者発表@表参道ヒルズ

行ってきましたよ! 去年は「カンテサンス」三つ星でご満悦でしたが、今年は贔屓の「海味」が二つ星獲得で、案外ミシュランと気が合う私。その派手でエネルギッシュなたたずまいから、どうもグルメ関係者の間で取りざたされないのですが、味や流れは豊かかつ繊細、そして、魚の味を多様に引き出すよろこびがあって、私はかねてから一票だったのでコレは嬉しかったですね。快楽系や派手系だととたんに評価が低くなるのは、クラブカルチャー系に限らずニッポンの評論作法ですので、それをぶちやぶってくれたかな、と。そのあたりは、『アエラ』のコメントで触れさせていただきました。


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11月22日

fancy himパーティー@非常階段

話題のパーティーに、野宮真貴センセイブッキングのご贔屓、モモコモーションが出るというので、行ってきました。いやー、このクラブ。エントランスの感じだとか、ほとんど、ニューヨークかロンドンの小箱みたいで超格好良し。パーティーに来ている客もハイプで今、一番オモシロイ場所なんじゃないでしょうか。

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11月23日

仮面舞踏会@センチュリーコート丸の内

マラヤン・ベジョスキーを迎え、意気軒昂のドレスキャンプのモデル美女たちが侍る仮面舞踏会。高校生の時、フィレンツェで買った仮面がこんな時に役に立つとは! (しかし、ほとんど大型のオウムですな)横の美女は、アクセサリーデザイナーのヨシコ・クリエーションのヨシコ氏。仮面なので挨拶されてもわからなかったら、耳元で「ヨ・シ・コだよ!」とハスキー声でささやかれまして、そのあまりの色っぽさに腰がヌケた私。下の写真はもちろん、野宮真貴嬢とヴィヴィアン。ちなみに、今宵のドレステーマは、皇女アナスタシアざます。今、文庫化された佐藤優の「国家の罠 ~外務省のラスプーチン呼ばれて」を読んでいるので、断然、ソビエトモードなのじゃ。


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11月26日

三軒茶屋「オスカー」~「テラ」の地獄行き

私が敬愛する写真家、梅川義満とヘアメイクの富沢ノボルが、スタジオボイスでファッションページをやって、どうやら、仲良くなったらしい。それでもって企画された飲み会がこれざます。三茶の住人、ノボル氏が連れて行ってくれたのは、「オスカー」という端正かつ昭和にワープだ~系のバー。左下に見えるのはグラスを重ねて、水とウィスキーを対流させるマジック。そういえば、昔のバーではよくこういう趣向がありましたよね。私、子供の頃の記憶に父親のご相伴で行ったバーで、そんなような記憶があります。エントランスでノボル氏のコートを着ていただいて、フォトセッション。上品かつ遊び心があるマスターでありました。その後、久しぶりの「テラ」。途中からデザイナーの松本弦人も加わって、そうなると阿鼻叫喚。弦人とチークを踊っている横では、梅川がクダをまいていたり、ノボルはダンサー美女ふたりを侍らせて、盛り上がってたり・・・。でもですね。結局最後までいたのはこのアタシだったのだ。途中から、湯山、自らi phoneに入れた楽曲をDJしまくり、店主のコウさんとFM東京のヒトと3人で、まるで学生時の部室のごとくの品評会状態になってしまったのでした。今まで気がつかなかったのですが、この「テラ」、ワンスピーカーなのに、凄くいい音が出ている。特にアコースティックが最高。さすがコウさん、理科系! 家に着いたのはそれでもって朝の七時。ホントに、なにやってんだか・・・・。


ちなみにこの夜のベストは、Jeff Beckの「wired」から「Play with me」でした。このアルバムは高校生の時、オンタイムで聞いて、ものすごくヘビロテしたものですが、ハービー・ハンコックのシンセの音色が、青空のアシッド、というぐらいに異様に強烈に美しいんですよ。絵の具になめるとヤバイ、銅の青がありますが、そんな感じ。アシッドっぽい音楽はそれこそクラブ系にたくさんあるのですが、彼のこの曲の音色とフレーズのようなアナザーワールド感とは違う肌合いなんですね。
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2008年11月12日水曜日

菊地成孔のナイト・ダイアローグ・ウィズにご出演の巻なり



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『菊地成孔コンサート2008』スペシャルトーク
<菊地成孔のナイト・ダイアローグ・ウィズ(NIGHT DIALOGUE WITH)>

> 【第一夜】2008年11月 9日(日) 17:30開場 18:00開始~19:00終了予定
> 「女は夜遊びの時、何に金を払っているのか?」
> ゲスト:湯山玲子(クリエイティヴ・ディレクター)
> ●会場: Bunkamuraオーチャードホール・ビュッフェ

↑というトーク・イベントに、昨年に引き続き出演いたしました。

菊地さんとは、けっこうトークを重ねているんだけど、今回ほど時間あたりの情報量が多いことはなかったよーな気がします。まあ、二人ともまず、相手の質問の意図に正確に答える、というよりも、その問いの中の名詞に反応して、全く違う話題を振り替えし、話がどんどん転がっていく。
でも、これってガールズ・トークの典型スタイルで、「デスプルーフインザグラインドハウス」でタランティーノが活写したあの「だらだらしゃべり」の醍醐味といえましょう。菊地成孔がこの女フィールドでやすやすトークバトルできるのも、彼がジャズのサックス吹きだから。インプロビゼーションって、そういうことじゃないか!

今回、図らずも大いに盛り上がったのは、50年代文化と80年代文化好みの「ゴッパチ」と70年代文化と90年代文化志向の「ナナキュウ」について。前者がサンダーバード、ガソリンスーパーノヴァならば、後者はプリウス。前者がピッチーニのハイヒールならば、後者はピルケンシュトック。人工美対自然。
もちろん、私も菊地さんもバリバリ前者。私の血中には中学の時、シビレまくったフィフティーズが色濃くあるのですが、彼もそのクチとは今の今までシラなんだー。終わってから楽屋で、「絶対、フィフティーズのパーティーやろうぜ」と盛り上がった次第。これ、ホントに企画しようっと!
こういうのは自然と親の教育と文化環境が出るもので、ウチの親も菊地さんの親も昭和一ケタで、戦後の焼け野原でアメリカ文化へのスウィートかつアン ビバレンツな想いを感じながら、青春を過ごした両親という共通点があるのです。ジャズの響き、そして、高度成長期に初めて、「夜遊び」が都市の特権 として発生したわけですから、そのへんがあいまって、子供のアタシたちを真綿のように洗脳していったというか・・・・。
あと、トークショーで言いそびれたのですが、ゴッパチ嗜好の人たちは、「子供的」でもあります。私は小学校の時、今でもつきあいのある遊び友達がい るのですが、彼女と誓い合った「小出しにして、一生、遊びたい」という言葉をこんなに真剣に実践するとは思いませんでした。ネオテニー=幼年形成、という言葉が全くふさわしい、未成熟ぶりです。「昔はお母さんも遊んでたのよォ」 という物言いに対しての反抗でもあったわけですが、そういう、ツッパリの美学に似た考え方はホント、大嫌いなの。ツッパリ文化は大好きなんですけれどね。
ペペ・トルメント・アスカラールの「記憶喪失学」は、新生ペペの力強くも分裂気味の大変に美しいアルバムです。ちょっとバルトーク入っていて、かつ、ロシア的な重層感もあり、なんだか、土っぽい洗練がたまらないわけです。
南米の大地とロシアの大地が串刺しにつながる、菊地流の地政学。これ、香水にたとえると、まさにアルチザン・パフュームの名作「トゥンブクトゥ」なのね。トンブクトゥはアフリカの都市なので、あらら、大陸つながりはそこまでいっちゃった。これ、今度、ホントに彼にプレゼントしようっと! 

<キャプション>
「記憶喪失学」の二曲目、「メウ・アミーゴ・トム・ジョビン」からインスパイヤされた本日のファッション。サーカスの太った玉乗りの女のイメージです。

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2008年10月25日土曜日

人生初、男性ファッション誌モデル撮影に挑戦の巻



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いわゆる、ダブルラインというヤツです。


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要するに、脇と腹の肉も総動員するとこういうバストに


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恐るべし。コルセットの威力。


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100年ぶりにウェスト出現。


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前人未踏の快挙を成し遂げたドリームチーム。左から、カメラの半沢健さん、AD!野宮真貴さん、ヘアメイクの富沢ノボルさん。


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シャンパン乾杯。
左の美女は最近痩せた担当編集の家倉ちゃん、右が編集長の松下ちゃん。まっちゃんの頭に隠れちゃったADの奔保さん。


就寝前の安らかな時間にネットサーフィンしていた方々、ごめんなさい。いやいやー、みなさん、びっくりしたことでしょう。
 不肖、湯山人生初のスタジオ、モデル撮影がこのたび実現したのでご報告します。大好きなボディーパフォーマー、アニー・スプリンクルのアートの中に、普通のオバハンをピンナップポルノスターに変身させる「THE TRANSFORMATION SALON」というのがあるが、まさしくそれ。
 マニアの皆さんのためのおふざけグラビア、もしくは、自費で年賀状撮影か(一度やってみたいものだ)と思いきや、ちゃんとしたお仕事なのですよ。しかも、堂々、エクザイルや市川海老蔵という面々が表紙を飾る、ハードコアで男伊達の人気メンズファッション誌「The COVER magazine」の11月号のページを飾るのじゃ。
 なぜ、こんな事態になったかと言いますと、編集長の好漢、松下和裕氏から連絡があって、青山で水炊きを食べたのがこの夏。彼曰く、
 「いやー、今の軟弱な若い男に精神注入棒を入れる連載をぜひお願いしたいんですよ。湯山さんいつも飲んでは若い男に説教垂れてるアレを男は待っているですよっ。ほら、僕なんかの世代はさ、ホットドッグプレスの巻頭Q&Aの北方謙三ページを読んで、男の道と言うものを知ったわけです。つべこべ言わず、男はソープへ行け! そう、これを湯山さんから今、若い男性に言っていただかないと、若い男は洋服ばかり買い続けて、日本国の将来は大変なことになってしまいます」
 若い男が服を買って内需拡大すれば日本国は助かるんじゃないのかと思うのだが、うー、これあまりにも無謀すぎる! だってさ、こーんなクロームハーツなイケメン狙いの読者たちが、何で今さら、アラフォーどころかアラフィフのババアの説教を聞くとは思えん、と辞退申し上げたのですが、なおも食い下がる松下氏。
 「いや、大丈夫です。そのために作戦があります。最初にグラビア撮影をしてガツーンとかましましょう! 昔、釣りキチ三平で読んだ、ハンマーで石を叩き、その音で眠った魚を気絶させて採るガッチン漁という伝統的な漁法があるんですが、それでいきましょう!」
 というわけで、野宮真貴さんにちらっとその話をしたら、「やるやる~。面白すぎる。私、ADやる~」ということで、あれよあれよとカメラ、半沢健、ヘアメイク、富沢ノボルというドリームチームが組まれちゃったんですね。
ーーこのくびれがいいね」と君が言ったから10月23日はウェスト記念日
 野宮説によるととにかく洋服はウェストくびれ勝負と言うことで、急遽、その道のパイオニア、ベビードールの緑川みらの氏に相談し、あれよあれよと衣装が決定。PV素材で作った打ち掛けに帯ならぬコルセットで挑むことになったわけです。打ち掛けは参考商品で作ったもののあまりにも原価が高くなってしまって商品化はあきらめた商品。いつもお世話になっているカシケイブラウンダイアモンドさんからは、今期の新商品、EAST AND WESTのラインからハイジュエリーをバーンとお貸しいただいて、確かにガッチン漁としての威力はマックスバリューに。
 そして、ご覧の通り、100 年ぶりに我が身にウェスト出現! これだけでもう、見違えるほどのスタイルができあがったのです。着物の帯よりも胸を圧迫しないだけに全然、苦しくないのにびっくり。今までこの威力を知らなかった私がバカだった。これ一発でハイブランドドレス、全部イケますよ。 
 いつもはライトの向こう側にいる自分が、被写体を経験するというのも相当面白い経験でした。まず、思い知らされるのが、自意識と見た目の大きなギャップです。「きっと、こうなっているはず」ともくろむ表情とポーズが、次々とモニターに現れる形に全く現れてこないという乖離がものすごい。イメージと実体がついていかないわけで、まるでスキーの初心者のようです。このあたりプロの野宮氏に尋ねると、撮られなれるとその乖離の幅がほとんどなくなる、のだそう。
 あとですね、途中から明らかに表情がキマリ出した瞬間があり、みんなが一斉に「入ってきたねー」と誉めてくれるのですが、撮られている自分の内面にはまーったく心境の変化が無いんですよ。なのに、明らかにモニターで見ても愕然と、撮り始めと違う表情が出てきている。これ、何なんでしょうかね。無意識領域の仕業としか思えない境地が立ち現れてくるのです。ほら、英語ってさ、あるときから突然、バーッとしゃべれるようになるじゃない、それに似た感じなのかも。
  感覚としては、私ひとりにスタッフ全員が対峙している一対多勢の感じ。スタッフの働きをもの凄く精緻に観察することになります。映画俳優やモデルさんって、わりと最初から名監督やカメラマンに転化することができるでしょ? その意味が少しだけわかったような気がします。なぜならば、彼女、彼たちは、制作の現場を最も”知る”ことができる立場にあるからです。
 撮影時には、もちろん「キレイだ、美しい」という言葉を全員から矢のごとく浴びるのですが、これも凄まじい快感です。女という文化装置の中にはこの”キレイだ賞賛”はもはや血肉化しているのだなあー、とあらためて実感。しかしながら、これ、モテとは同じ様でいて違うタームなんですね。モテはほとんど、人間力というか色気も含め内面の問題が大きく占めるので何だか仕事とか偏差値っぽい。
 しかし、"キレイ"ということはそのあたりをぶっ飛ばす暴力的な力を自覚し形として宿すようなことになるわけで、自分、そういえば、そこのところの自助努力を最近とーんとしていなかったことに気づきました。これ、ダイエットの強力なモチベーションになるかも。←ホントか。といいつつ、「このままでも、いざというときにはコルセットでキメるぜ」という逃げ道も知ってしまい、アンビバレンツな毎日が続きそうではあります。
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2008年10月2日木曜日

深浦加奈子お別れ会より一週間目の追悼



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深浦加奈子のお別れ会が、一週間前にウェスティンホテルで行われました。

その時はまだ暑かったのだけれど、この数日気温が下がって季節が変わってなんだか、やっと平常心に戻りつつある、のかなあ。(表向きには普通にいろいろ活動してたんだけどね)お別れ会の時、友人代表で贈る言葉を述べさせていただきましたが、そこにはまた、皆さんが知らない彼女の素敵なエピソードがあると思いますので、ここに掲載します。いや、しかし、私もとりあえず今後の人生しっかり歩き続かねばいかんよね。

以下、九月二十四日(水)@ウェスティンホテル恵比寿にて

深浦加奈子さんあなたが亡くなって今日で一ヶ月が経ちます。

五年間の長きにわたる闘病生活でしたが、今年の二月には元気に舞台で主役を務めていたこともあり、「もはやガンと折り合いを付けて、元気に生活していけるのでは」と思っていたら、八月十日にご実家から入院の連絡が入り、それから、ほどなくしてあなたは帰らぬ人となりました。
話したいことがいっぱいあったのに、もう、それを直接、耳にそれを届けることは出来なくなってしまいました。「退院したら、その時はお茶でも飲みながらいろいろ話をしよう」などとのんきな計画はあなたの死に際してもろくも崩れ去りました。病室での姿を見てもなお、「フカウラのことだから大丈夫」と私たちは皆信じていたのです。
 あなたに伝えたかったことを今、ここで一方的ではありますが、ほんの少しだけお話しさせていただきたいと思います。

あなたに初めてであったのは、小学校の四年生の四月でした。

まつげの長いもの凄く可愛い女の子が転校してきた、という噂は違うクラスの女の子たちの間でも話題になり、「つけまつげを体育館の裏で付けているのを見た!」というような無邪気な噂が駆けめぐったのは、今思えば、将来、女優として活躍するあなたの、いっとう最初のほほえましいゴシップだったと言えるでしょう。
 地元のこどもの国合唱団に参加していた縁で、私たちはすぐに大の仲良しになりました。
こども同士の無邪気な友達関係と言うよりも、たんに気が合う、というだけでもなく、私はとにかくあなたの放つ大人びたセンスやものの考え方に強くひかれたのです。
 当時、アバンギャルド路線をひた走っていた赤塚不二夫のマンガや筒井康隆、遠藤周作の交友録エッセイのような表現はあなたと私、そして数人の変わり者の女友達の間のバイブルのようになっていましたが、そんなセンスを最もクールに、そして大人顔負けのシニカルさでもって実行していたのはあなたです。当時、話題になり始めていた原宿の噂を聞きつけ、精一杯のおしゃれをして出かけたこともありましたね。あなたは未知の世界に私たちを触発し、連れて行ってくれる先達でした。当時のあなたは私のスーパースターでした。

こんな出来事がありました。

私たちの中学は私服でしたが、ジーンズだけは禁止。そして、先生の権力は絶対でした。ところが、遠足の時のあなたの出で立ちは、当時の流行のフィフティーズそのままのピンクのマンボズボンに襟を立てたスイングトップ。それはジーンズなんぞよりもよっぽどの不良アイテムゆえに、ことの経過をハラハラして見守っていたのですが、時代の風俗に無知な先生は「フカウラのスラックスいいね」とのんきに言う。それを大人を虜にする花のような笑顔を見せて「ええ、スラックスですから」と答え、後ろでぺろっと舌を出すようなところがあなたにはあった。
 全く、凄いウラバンぶりです。でも、こういうことをひとりでさらりとやってのけるあなたは、ものすごく格好良かった。男が男に惚れるという言葉がありますが、心ある女子はみんなあなたのファンでした。

 そんなクールなあなたが入学した女子校を止めて、日比谷高校を受験し直した時も驚きましたが、明治大学に入学してから、第三エロチカという過激な名前の劇団の旗揚げに参加するというのは寝耳に水でした。旗揚げ公演。酸欠になりそうな小劇場の暗がりで爆発するエネルギーの塊のようなあなたの姿は、今まで私が見知っている深浦加奈子のとは別の生き物のようで、その変化と圧倒的な存在感に私は驚愕しました。
 時代は相変わらず、というか以前にも増して、軽さ、意味の無さ、本気ではないことがカッコ良いというムードに覆われており、私も含めほとんどの若い女性はその影響下で女子大生ブームとやらに浮かれていたのですが、そんな風潮を尻目に、あなたはひとりで決して軽くはない、本格的な世界に毅然と足を踏み入れていました。

 今、いっしょに過ごしたいろんな場面が、出来事が思い出されます。
 山下達郎の葉山マリーナのコンサートに行った帰り、雨の中ずぶ濡れでボンクラ大学生の車をヒッチハイクしたことがありましたよね。そんなときにあなたがその輝くばかりの美貌とともに見せる”ぶりっこ”演技ぶりは本当に面白かった。横浜にあなたの車で遊びに行ったらレッカーされて、警察であなたは「何の悪気もない、か弱い女子大生」を迫真の演技で泣いて交渉したけれども、鬼の神奈川県警は車を返してはくれませんでした。あなたのとてつもない愛らしさ攻撃に心を動かされなかった若い警官はまさに警察の鏡でしたが、し方なく、ふたりでバンドホテルに泊まって、バッキー白片のハワイアンショウを観ましたね。それは、まるで昭和30年代にタイムスリップしたような空間と時間で、私たちは口をぽかんと開けて、ウクレレのあっけらかんとしたサウンドに身をまかせていました。 その不思議なホテルも今はもう在りません。  こんなふうに、あなたとの思い出のほとんどは、何がおきるかわからない冒険活劇のようでした。一生、いつまでもあなたと一緒に遊んでいたいと思わせてくれるすばらしい時間でした。  当時の若い女性というものは、今と違って大人に成った以降の選択肢がほとんど無く、限りなく精神的にはノーフューチャーでしたから、私たちはいつも苛立っていたのです。そんな中で、あなたはいつも凡庸な世間に切り込んでいく突撃隊長のようなところがありました。

 それから10数年。30代半ば、こちらがやっと本格的に仕事や人生と取り組むようになって、ようやく、あなたが若い時分に決断した境地に達し始めた頃、あなたは今度は軽やかに、テレビというまた別のプロフェッショナルなステージで独自の活躍を始めていました。あなたは常に私たちの前を行く人でした。

 そんな行動力と胆力を持った女性だったけれど、芸能界でメジャーの仕事が増えてからは、そのエネルギーが包容力のようなものに変化していったような気がします。アイドルから演技者として脱皮しようとしている女優さんの悩み相談を受けたり、若い役者さんたちの面倒をよく見ているようでした。それがどんなに役者さんたちの励みになったかということは容易に想像がつきます。

 深浦さんは本当に優しい人でした。優しくて強い人でした。「説教するぞー」などとおどけてはいましたが、たとえシビアなことを言っても、その根本には深い愛情があることを皆知っているので、彼女に相談を持ちかけるのです。私の取るに足らない不安や愚痴を温かく、そして厳しく、辛抱強く、電話で何時間もつきあってくれたことがたびたびありました。
 五年前、親しい友人だけにガンであることが知らされました。

 友人とは第三エロチカの初期のメンバーと地元久我山で深浦加奈子のカッコよさ、おもしろさに惹き付けられ30年以上も遊び続けている面々です。
 皮肉なことにいつもはお互いに忙しくて全員が顔を合わせることができない我々もこの五年の中ではたびたび全員が集まり、一緒に食事や旅行に行くことができました。最後の入院では、久々に病室に全員が揃って、写真を撮ったりバカ話をして盛り上がったり、まるで、中学時代の夏休みの登校日のような不思議な時間が存在しました。あなたは酸素チューブを鼻に入れながらも、相変わらずのシニカルな冗談を言って皆を笑わせていましたから、私はちょっとほっとして、小学校の時のマンガの貸し借りのように、「デトロイト・メタル・シティー」全巻を病院に送りましたが、それが読まれることは二度とありませんでした。

 それから、幾日も経たないうちに、病状は急速に進み、病院で最期のお別れをしました。モルヒネで意識がぼんやりした中で目と目が一瞬合ったのですが、すぐにあなたはうつむいてしまいました。しかし、握りしめた手をぎゅっと握り返してくれて、あなたは「ありがとう」と一言言った。
 私は私でものすごく言いたいことがあったのですが、その時は全く言葉が出ませんでした。「ありがとう」はこっちが言わなければならない言葉だったけれど、それをあなたの耳に届けることはもうできなくなってしまいました。
 深浦加奈子さん。

 あなたが天国に旅だった日より、前にも増してあなたが近くにいるような感じがします。それはまるで遠くに暮らす恋人を思う気持ちのようです。
 映画を観れば「この作品、フカウラだったら手厳しく酷評するだろうな」とか、下町の居酒屋に行けば「あのカップルについてフカウラならこういうね」とか、私のすべての生活にあなたが顔を出すようになった。
 あなたと話す機会は永遠に失われてしまいましたが、私の心の中にはしっかりとあなたという存在があります。もう、深夜の相談飲み会はできなくなりましたが、そんな夜はひとりで心の中のあなたに語りかけることにしましょう。

 あなたのにこやかに笑う写真に最後のお別れを申し上げ、心からご冥福をお祈り申し上げます。



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2008年9月1日月曜日

さようなら、深浦加奈子。追悼。



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深浦加奈子さん(左)と私。80年代前半。一緒に飲んでるところ。

 
 深浦加奈子が亡くなって今日で一週間が経ちます。それでも毎日は過ぎていき、その事実を頭では理解しているのですが、心がそれに伴っていきません。今日も電車で栗色の長い髪を緩いポニーテールにしている女の子がいたのですが、その髪の毛の感じがフカウラにとっても似ていて、またまた、急に胸が締め付けられてしまいました。彼女の断片が思いがけないとこで目に入ってきて、そのたびにうろたえるということがこれからかなりの間、続くことでしょう。
 三十年以上前に、小学生の時に仲良くなってから、ずっと友達でいて、いろんな時代のいろんな季節にホントに彼女とは良く遊んだものです。
 小学校の時、放課後、ふたりでテレビを観ていて、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」の有名な「裕次郎ひとりドラム大暴れ」のシーンを見て床を転げ回って爆笑し たことがあったっけ。今でこそひとつの様式として認知され、普通に鑑賞できるあのシーンですが、当時は「見ているこっちが赤面する突拍子もなさ」の集大成で、 お互いに目の玉を白黒させて、笑い転げました。そんなマニアな笑いのツボが一緒だというので、「コイツとは一生友達だ」と幼い私は密かに感動したものでした。そういえば、当時、アバンギャルド路線をひた走っていた赤塚不二夫の「天才バカボン」や山上たつひこの「ガキでか」にも一緒にハマることができる数少ない不思議な 女友達が深浦でした。彼女から借りっぱなしになっている筒井康隆がきっとまだ、実家にあると思います。
 第三エロチカを止めて、加藤芳一さんや元WAHAHA本舗の村松利史さんたちとお芝居をやり始めたとき、彼女が方向性として選んだのは「お笑い」だった のは、だから、必然でした。この時、私は一番彼女と良く会っていて、「舞台で人を笑わせる」ということの難しさをもの凄く具体的に聞 いた覚えがあります。このころの深浦加奈子は目の覚めるような美貌で、その美貌をものともせず、ナンセンスや毒のある哄笑に挑んでいる最中であり、それは最初から合格点というようなものではなく、それはそれはハー ドな修行のようでした。彼女は大変頭の良い、批評的な頭を持った人でしかも真面目で勉強家と来ている。天然のお笑いの才能があったり、ファニーフェイス だったり、のメリットがないところの、しかも女性のそれは試行錯誤の連続だったようです。
 しかし、そのことの成果は彼女がテレビや映画で名脇役として真に 才能を発揮した近年にはっきりと現れていました。 エキセントリックなお受験ママやナースや小姑のちょっとした表情やニュアンスにもれなく、人間の不条理や複雑な感情の綾を秒速かつ高圧で込めてくる。テ レビドラマの紋切り型のセリフや人間像が彼女の役柄だけ強度を持ちえたのはそんな過去の修養があったからこそなのです。彼女とはいろんな映画やお芝居の話をしましたが、ウディ・アレンの「ブロードウェイと銃弾」のダイア ン・ウィースト、「シリアル・ママ」のキャスリン・ターナーなど、彼女が語る女優論は、たんなる鑑賞者である自分には考えもつかない視点があり、「演者はこれほどいろんな 物事が見えるのか!」というぐらいに刺激的なものでした。役者出身の映画監督は、クリント・イーストウッドをはじめとして、最初から上手い人が多いのですが、彼女も生きていればこの時代、映画をとる機会があったかもしれません。いや、そういうことには慎重だったから、やっぱり女優をまっとうし、希木希林も色を失う素晴らしい怪優、名優になっていたかもしれません。
 人生初めての保護者のいない海外旅行、というのは、彼女も私も一緒に行ったインドが最初だと思います。私が大学四年、彼女が三年の時でした。
 デリーの空港から街に行く白タクスクーターと喧嘩して、道の途中で下ろされたり(よくある料金交渉の決裂ですが、最初にタンカを切って降りたのは彼女の 方)、彼女に求婚するインド人が少なくともふたりはいたり、ベナレスのボートで暮らしているフランス人ヒッピーにタブラを習ったり、多分、この先こ んなに面白い旅行はないだろうと言うぐらいのエピソード満載の珍道中でした。
 北西部にジャイプールというとても綺麗な砂漠の入り口の街があるのですが、そ こで彼女が言ったことが、そういえば、忘れられない。夕方に着いて、ラクダがゆっくりと行き交う夜の街をそぞろ歩いていたとき、急に「この光景、絶対に前 に見たことがある。私はこの場所を知っている!」と何度もいうのです。彼女の美貌はインド人似のエキゾチックなところがあるし、インドの彼の地は彼女の魂 に深い縁があるところかもしれませんね。月とぼんやりとした市街の明かりに浮かび上がるラクダの長い首と椰子の木の光景は、今こうやって目を閉じてもはっ きりと思い出すことができます。肉体を離れた魂は時間も場所にも囚われずに自由だといいますから、彼女はもう一度、あの時のジャイプールの熱帯夜の街に飛んでいったかもしれません。
 荒ぶる魂を持った女でもありました。
 山下達郎の葉山マリーナのコンサートに行った帰り、ずぶ濡れのままヒッチハイクでボンクラ大学生の車に乗っけてもらって帰ったり、横浜に彼女の車で遊びに行ったら、 レッカーされて、警察で深浦、迫真の演技で泣いて交渉したけれども鬼の神奈川県警は車を返してくれず、ふたりで今は無きバンドホテルに泊まって、バッキー 白片のハワイアンショウを観たり、彼女との思い出のほとんどは、一寸先は闇の冒険活劇のようでした。当時の若い女性というものは、今と違って将来の選択肢がほとんど無かったので、限りなくノーフューチャー。私たちはいつも苛立っていて、彼女はその中でもいつも突撃隊長のようなところがあって、ホ ントに格好良かった。飲み屋で私たちに説教を垂れる全共闘オヤジとよく、喧嘩しましたよね。
 しかし、芸能界メジャーの仕事が増えてからは、その攻撃性が包容力のようなものに変化していったような気がします。若い 役者さんたちの面倒をよく見ているようでした。そうなってから、私はふたりだけで遊びに行くことがなくなりました。そのことをお互い大人になったんだか ら、と思っていたけれど、今思えばもっと昔みたいにいろんなことを語り倒せばよかった。天下国家から、マンガに至るまで! 笑いは百薬の長だと思って、久々に私の笑いのツボにはまった「デトロイト・メタル・シティー」全巻を病院に送りました が、もう、読む気がおきない、って言ってたよね。
 一週間前の日曜日の5時頃、私は彼女と病院で最期のお別れをしました。いや、その時はお別れを言うつもりはなかったのですが、握りしめた手を ぎゅっと握り替えしてくれて、彼女は「ありがとう」と言った。私は私でものすごく言いたいことがあったのですが、その時は全く言葉が出ませんでした。イン ドのことやたくさんの思い出話でもいい、その夜、その言えなかった言葉を反芻して、明日こそ伝えよう、と思っていたのですが、翌日、なぜだか全身の気力が 抜けたようになってしまい、仕事を中断してソファ寝してしてしまい、病院には行きませんでした。そうして、その日の夜、彼女は静かに息を引き取ったので す。
 深浦加奈子さんの冥福を心からお祈りいたします。



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2008年8月9日土曜日

コシミハルのミュージックホール、"Le judas"が凄い


 

Koshi2









 












野宮真貴さん、コシミハルさん、そして私。バックステージにて。

 コシミハルさんの三年ぶりのミュージックホール、"Le judas"に行ってきました。
 三年前と現在の間に、代官山UNITにて、コシさんに頼み込んでこのミュージックホールのディフュージョン版を企画しましたが、その時におっしゃっていたイメージがついに形になったのです。
http://dwww-miharu.sblo.jp/
 バート・バカラックと同様、頭の中にコシミハルの部屋があって、いつ何時でもその音楽を引き出すことが出来る自他共に認めるファンの私ですが、それにしても今回のステージはホントに凄かった。
 ピアノとファゴット、そしてバレリーナ三人を従え、彼女がある時はアコーディオン、ピアノを奏で、ある時は踊るというスタイルは全く前回と同じ。クロソウフスキー、19世紀末から20世紀初頭のパリ、シュバルツバルト(黒い森)、鞭とリボン、コケットリーに聖性といった世界観も全く同じ。思えば、コシミハルという人はこれを数十年間一貫してやり続けていて、もはやそれは歌舞伎の型のごとし。でも、そのガチガチの記号の中で、躍動する音楽や肉体の自由度とフリーキーさは今回マックス級。
 コシミハルの世界はもうもう、私にとって極上の嗜好品とも言えるものなので、とにかく、そこにそれが舞台として在ってくれるだけで幸せ、というものなのですが、今回はそれを飛び越えて、彼女自身が放つ表現と存在のエネルギーに釘付けになったという感じ。ラッセル・マリファントが振り付けた「TWO」でのシルヴィ・ギエムは、二メートル四方のスペースでとてつもない高速身体運動を披露しますが、その時に感じた印象と取っても似ているのです。
 三年前の前回は野宮真貴リサイタルのプロデュースを始める前でした。あれから舞台制作を経験したわけですが、今回、コシミハルが行ったのは、プロデュース、アルバム作り、演出、振り付け、そして、パフォーマンスというほとんどすべて。これは本当に凄いことで、ロビーでお話しした細野晴臣さんもおっしゃっていたけれど、まさに「成熟したパワーのある大人の仕事」だと思います。中年は(怒らないでね、ミハルさん)こういうことが出来てしまうから、今、若者はその前に手も足も出なくなっているのかもしれませんわね。
そういえば、ピアノをやっていた人ならお馴染みの、「メトードローズ」という初心者の教則本があります。バイエルがドイツ系ならばこちらはフランス系で、私は断然、こっちの方がお気に入りだったんですね。「貴婦人の乗馬」だったり、「月の光」だったりの表題の横に、なんとも不思議なペン画が書いてあったのですが、小さいときの自分はそれが大好きで、練習よりもそっちを見入って妄想したりしていました。コシミハルさんもメトードローズ派であることはほぼ間違いが無い。赤木仁のイラストとの関係を鑑みるに、彼女こそがその”遊び”をピアノからは放逐された私に成り代わり続けてくれているような気がするのです。
 全篇フランス語の歌詞によるアルバムは、緻密で迷宮的なテクノ・オーケストレーションが展開。お気に入りは二曲目の「黒イチゴ」で、猫の声のような、少女の胸声のような音色が耳について離れないんですよね。ジングルのような「ロワイヤル・エプロン」の音階ループは、リロイ・アンダーソンの素晴らしいテクノ解釈ともいえます。
うーん、本当にこういう音楽をつくっている人は、世界で彼女以外にいない!
日本の最大輸出品目なのではないでしょうか。

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